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寒桜 カメラばかりが 取り囲む

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 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側や山地では雲が広がっていた。気温は3度から7度、湿度は70%から48%。風は3mから5mの西北西の風。明日の7日は、引き続き冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすいのだと云う。

 

 今日は暦の上では「啓蟄」なのだそうだが、寒い一日になった。お昼過ぎには粉雪がちらついたりもしたが、大事にはならなかった。

 

 さて、しわく広島の事務局から研究報告会の案内状が届いた。私のデザインしたチラシとポスターが印刷されて同封されている。

 

 報告会は三月19日(水曜日)の午後ということだから、もう、二週間を切った・・ということになる。昨日は少しリハーサルをしたけれど、一時間少しだった。もう少し、ゆっくり目に、しっかりとお話しなければ・・と思った。

 

 それはそうと、Facebookというソーシャル・ネットワーク上に、私が掲載した画像を、ペン画作家の伊丹さんという方が「絵」にして下さっている。それが何枚かたまってきたので、どうにかしたいと考えていた。

 

 以前に、まんのう町の亀山さんという方の写真を、その伊丹さんがペン画にしたものを、亀山さんはコラボの写真集にしておられた。そこで、そこまでの枚数はないので、とりあえず、パワーポイントで、電子紙芝居風アルバムにしてみた。

  

 という風にして、12組24枚の写真集ができあがった。伊丹さん、ありがとうございました。

 

 まぁ、こんなことばっかりやっているからか、ほかの原因なのか、目の調子が相変わらず悪い。目が乾くし、目がかゆいし、左目はかすんでいるし、焦点が合わないので、ものが二つに見えるし・・。だから、目薬をさすことばかりをやっている訳だ。

 

 「シュマズ・イタマヌ・・」というのでは効き目がないのでは・・とおもうのだが、昔の広告はこんなものだったんだな。

 

 私がこどもの頃には、こんなものがあったように思う。

  

  でも、なんでか、ついつい、口を開いてしまうんだなぁ・・・。

 

 ということで、今日のお昼はこれになった。これで成果があるのかないのかはわからないが、体重は65Kgまでには下がったけれど、ここからが減ってくれない。ドクターは58Kgがベストだと云うのだけれど、60Kgを切るのは至難の業だ。

 

 昼からは粉雪が吹き荒れたが、まるでひやかしのように跡形もなくなってしまった。ま、雪が珍しくて嬉しいわけではない。

 

 ということで、午後からは相変わらずのお勉強。この本の船が英国海軍の測量船「シルビア号」である。英国士官レキが乗っていたとされる船である。

 

 夕方になると雲の間から太陽が顔をのぞかせるようになってきたが、気温は下がる一方である。

 

 今日の掲示板はこれ。「心がしっかり定まっていないと 人の言葉に乗せられて転ばされる」という、荒了寛さんの言葉である。近年の「オレオレ詐欺」とか「振り込め詐欺」とかがなくならないのは、こういうことかも知れないと思った。そんな話があるわけないとはわかっていても、ついつい、人の言葉に乗せられてしまうのだろう。こころがしっかりと定まっているいないの問題以前に、我が家には預金通帳に残がないのだから、どうしようもないというのが実情なんだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅咲いて 桜咲くまで 一休み

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 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、晴れということなんだが、瀬戸内側では雲の広がっている所があった。気温は-1度から8度、湿度は66%から42%。風が強くて1mから7mの西の風が吹き荒れていた。だから冷たい一日になった。明日の8日は、冬型の気圧配置が緩むため、概ね晴れるらしい。

 

 今日はいい天気になったなぁ〜ということで、朝の散歩に出掛けた。久々に県営大川ダムを一周する二時間コース。この頃はそよそよ程度の1mとか2mの風が吹いたり、止んだり・・・。

 

 このダムの下から階段を昇って堰堤まで昇る。そして保守用道路を南に歩いて、県道に出て、今度は北上するというコース。

 

 ?と書いてあるすぐ左が我が家。少し赤い線が切れているところから出発して下に進む。それから大川ダムの左の山道を歩いて先端から折り返して県道二号線を北上する。我が家を左に見てさらに北上して、さぬき市道に入って戻って来るというコース。ユックリ目に歩いて1時間半だったから、約6Kmくらいなものか・・・。もっと少ないかも知れない。

 

 天気はいいのだが、いかんせん、風が冷たくて・・・。これではまたしても肺炎になるのでは・・・と心配したほど。

 

 帰ってみると、こういうものが届いていた。と云うのも、前回はダウンロード版というものを購入したのだけれど、デスクトップ・パソコンをリカバリー処理をしたとき、うっかりと削除してしまって、シリアルナンバーから一切も消えてしまった。

 

 ま、たいしたことあるまい・・と、その前のバージョンでメンテナンスしてきたのだけれど、なにかと機能が古いものでやりにくくて仕方がない。ポイントもたまっていたものだからと、お安いバージョンを購入したもの。ところが、一歩下がって二歩進むものだから・・・今度は何から何までやり直し・・・。

 

 大正時代から明治に戻ってウロウロしていたものが、いきなり、平成に飛び込んだみたいなもので、「なに?これ?」みたいなことの連続で・・・。

 

 今日のお昼もダイエット食。少しは効き目があるのかしらん・・・。云うと云わんと、おなかは空くように思う。ま、肉体労働者ではないので、なんとか我慢はできるのだけれど。

 

 さぬき市の「光化工事」で、四国電力系の「ピカラ」というプロバイダーになったものだから、私のブログやHP(ホーム・ページ)をOCNからピカラに移動させたほうがいいとは云われているのだけれど、これがどっこい面倒な作業。メールアドレスもOCNからピカラに移転させる準備はできたのだけれど、案外と、メル・アドはいろんな所で使われているし、周知もされているもので、おいそれとは切り替えられない。かと云って、いつまでもダブル・アドレスでは不便で仕方がない。

 

 この二台のパソコンに、業者さんが設定したメーラーは、ウィンドウズ・メール。それ+に「シュリケン」というメーラーが入っている。つまり、左右に二個ずつのメーラーがあるということは、四つのメールをチェックすることになる。同じメールを4回ずつ読んで削除するという手間、さらに、二つのメルアドがあるから・・・。

 

 さらに、横のおこたの上にもデスクトップがあるから・・メールの削除だけでもうんと時間がかかってしまう。どうにかせんといかんなぁと思いつつ・・・思いつつ・・・。

 

 ホームページ移動作戦の準備もしなくてはならんのだけれど、当面は、19日の報告会。これに集中しないとあかんのかな・・・。

 

 今日の掲示板はうまいことにこれ。同じ組(そ)の下津先生のところにあったもので、「大丈夫 心配するな 何とかなる」と云う一休禅師の言葉らしい。らしいというのは、原典がはっきりしないからである。一休禅師は87歳という当時の平均寿命の倍近くの高齢で亡くなったと記録に残っているが、最後に弟子たちに「どうしても困った時に開けなさい」と一通の手紙を残して旅立った。数年後、弟子たちが困窮した時、固唾を呑んでその手紙を開けた。すると、中には「大丈夫。心配するな。何とかなる」としたためられていたと云うもの。 「大丈夫。心配するな。何とかなる」−まさにそうなのだ。それがどんなに深刻な問題でも、時間が全てを解決してくれる。 「その職は余人を持って変え難し」などと言う話をよく聞くが、そんなことはまずないのである。「俺が辞めたらこの部署(会社)は終わりだ」なんて話もよく聞くが、そんなこともまずない。ほとんど全ての事柄が「何とかなる」ものなのだ。所詮、人間の能力など大して変わりはしないのだし、ほんの少しの幸運とひとかけらの“才”があれば、どんな人間にも特別な存在になれる可能性がある・・・ということである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

爪切りが よく切れそうな 霜の朝

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方からは次第に雲が広がる見込みらしい。気温は0度から8度、湿度は66%から48%。風は2mから3mの北西の風が少しばかり。明日の9日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日も天気がいいので近所周りの一時間コースの散歩をしてきた。少しずつだが、庭木の花が少しずつ開いてきたような気がする。そろそろと三月の中旬に近づいてきたのだから・・・。

 

 その後、パワーポイントを起動して、「英国士官レキ研究会」の報告会のリハーサルをやってみた。ユックリ目に噛みしめるようにして説明するのだが、やはり、1時間少しだった。もう少し、ゆっくり目にしたほうがいいのか・・・。かと云うて、付け加えるような新しい情報も出て来ないし・・・。

 

 明日、奥方のけいこばぁが「ジョイント・コンサート」に参加するということで、今日はリハーサルがあるというので、一緒に行くことになった。そこで、早めの昼食になった。

 

 で、木田郡三木町という町にある、「サンサン館みき」という建物に行った。香川県三木町にある「サンサン館みき」は、さまざまな生涯学習講座を開講している三木町の公共施設。ここで、けいこばぁはピアノのレッスンを受けているらしい。

 

 正式には、「三木町健康生きがい中核施設」と云うそうで、愛称を「サンサン館みき」と云うのだそうだ。運営は、公益財団法人三木町健康生きがい財団がやっているのだとか。

 

 会場がいいのか、ピアノがいいのか、すごく大きな音での演奏で、6階にいても演奏が聞こえてきた。

 

 この立っている長い髪の女性がピアノの先生らしい・・。詳しいことを聞いても覚えられないので聞かないことにしている。お互いの趣味の部分には入り込まない方が良さそうだ。

 

 こういうエントランスホールでの演奏会になるらしい。なんでも、明日行われる「東日本大震災の復興支援チャリティーコンサート」の一環らしい。

 

 午後からは、新しい「ホームビルダー18」というソフトを使って、新しいページを作る練習をやってみたが、どうにも難しい・・・。やはり以前の「IBM」製のものが使いやすかったように思う。「JUSTシステム」になってからは操作や手順が複雑になったもので、どこから手をつければいいのか・・・まるで迷路に踏み込んでしまったような感じになった。

 

 今、現在のホームページを更新するにはなんら問題も疑念もないのだが、最近、はやりのスマホ対応とかにしようとすると・・・頭がウニウニ・・・になってしまう。ホームページの構造や組み立てができていないのだろうとは思うのだけれど。もう少し基礎勉強が必要だなぁと思った。

 

 なにせ、私がスマホを使っていないのだから、それに対応するホームページを作ろうとするので無理があるのかも知れない。もう少し、構想をしっかりと練ってからだな。

 

 とにかく、今月19日の「イギリス士官レキ研究報告会」を成功させることがまずもって、当面の目標。それには、パワーポイントの「電子紙芝居」のストーリーを頭の中に読み込むことが大切。ところが、加齢のためか、なかなかに頭の中には入ってくれないのが困る。

 

 と云うことで、今日の掲示板はこれ。「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は変わらざりけり」という、山岡鉄舟の言葉。これは、幕末の政治家・山岡鉄舟が剣の悟りを得た時に詠んだ歌だとされている。「人はとかく自分の不幸を周囲の環境のせいにしがち」と指摘し、「本来あるべき自分をただそのままに生きていけばいい」と説いているのだと云う。天候に関わらず常に富士の山であり続ける故郷・静岡の富士山のように、逆境にあっても自分を失わずに生きていたい。またそれこそが人の生きるべき道の証明なのであるが、しかしそれにしても、迷ってばかりの我が人生。晴れても曇っても泰然自若の日々が訪れることを願いたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

のんびりと 背伸びしてみる 梅の花

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は4度から9度、湿度は78%から47%。風は1mから3mの西北西の風。明日の10日は、冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすく、雪や雨の降る所があるらしい。すっかりと春めいてきたなぁと思ったことだった。

 

 だから、久々にお布団を干した。気温はそんなに上がらなかったが、日差しが強くなったのと、そんなに風が吹かなかったので、いい、布団干しの日になった。

 

 で、これまた久々に、香川県立図書館にやってきた。日曜日だから、大勢の人がいるかなぁと思ったが、そうでもなかった。

 

 学生・生徒さんも、この時期には忙しいのか、さほどの人数でもなかったし、最近はスマホやパソコンで勉強できるし、ここで本を利用しなくても済む時代になってきているのかもしれない。

 

 しかしのかかし・・・、「タマシイはあるのかないのか」という宗教概論のレポートは難しい。真宗的には「ない」と云うほうが正しいように思うが、本山の研修会のレポートだから「ある」と書く方が正しいのだろうか。それと同じように、「こころはあるのかないのか」というのも似たような質問だと思えてきたが、違うのだろうか。「こころ」もまた、重さも形もないし、どこにあるのかさえわからない。強いて云えば「頭」の中、頭脳の動きなんだろうか。だとしたら、タマシイというものも、頭の中にあるのだろうか。

 

 などと云う、素朴な考えが頭の中を駆け巡っていた。考えても意味のない考えなんだろうけれど。

 

 昨夜に泊まりにやってきた娘家族は朝食を食べると帰ってしまい、奥方のけいこばぁは、「東日本復興支援のチャリティーコンサートに出掛けてしまって、今日は自由な日曜日。午後からはレポートの勉強やら、レキ研究報告会のスライドの修正作業などをやっていた。

 

 おかげで・・・というほどでもないが、そういうことで、発表時間は1時間15分程度になるようにした。後の15分間は質疑応答に宛てることにして・・・。質疑応答がない場合には、アンコールタイムならぬ。特別サービスの画面を用意して説明することになった。

 

 午後からは、またも、集落一周の1時間の散歩をしたが、少しずつ、少しずつ、春めいてきているのが実感できる。

 

 夕方の15時を過ぎると、慌ただしく作業が始まる。干したおふとんの片づけ、洗濯物の取り込みと片づけ、お風呂の掃除と準備、迷犬ごんの散歩に生ゴミと空き缶の片づけ・・・。そして入浴と夕食の準備・・・。おかげで、今日のブログの更新が遅くなった。

 

 今日の掲示板はこれ。「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」というもの。これは、エリック・バーン(1910-1970)というカナダの精神科医の有名な言葉だそうだ。わたしたちが犯す間違いのひとつに、他人を変えようとしてしまうことである。他人とは、友人や恋人、配偶者や我が子であるかも知れまない。しかし、人間というのは、自分を変えることさえ困難な場合がほとんどなのに、自己改善、自己変革もできないのに、他人を変えようと云うのは僭越であるし、おこがましいもの。過去という変えることができないことにこだわっているよりも、これから起こる未来をより良くすることの方が得策ではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

早い春 遅い春あり 風の中

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、寒気の影響で山地を中心に雲が広がり、雪や雨が一時降ってきた。気温は2度から6度、湿度は75%から58%。風は5mから7mの西北西の風が強くて冷たい一日になった。明日の11日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

  こういう天候の良い日には散歩だな・・・ということで散歩に出かけたが、風が強くて冷たいので諦めた。こんな日に無理して散歩をして肺炎にでもなったら大変だな・・・ということで。昨年の今頃は、肺炎になって一週間ほど入院していたことだったし・・・。

 

 ということで、ここにやってきた。東かがわ市丹生(にぶ)という所にある「小砂(こざれ)説教所跡」。この二十七段余の石段を登り切ると広場に出る。ここが「小砂(こざれ)説教所跡」で、この地区の真宗の道場であり、昔の集会所であった。ここが、今では「正真講本部」となっていて、庄松同行の情報発信源ともなっている。

 

  石段を登り切った左手にあるのが鐘楼。その先に墓石がいくつかあるが、その中に一段と高くなって花が供えられている石碑が「庄松同行の墓」で、「釈正真信士墓」と刻まれている。没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。と言うことは、今年が142周年ということになるのか・・・。

 

 五十二 「石に下には居らぬ」 この一条は、石田村の市蔵同行が見舞いに来て云えるには、「同行が死んだら墓を建ててあげましょ」と云えば、庄松、「おれは石の下には居らぬぞ。」と云われた。絶対の慈悲に浴して、大信を授かった者には、墓も卒塔婆もいらぬ。追善・供養・施餓鬼供養一切無用である。追善供養は悪道に堕ちた者へする仕業である。庄松は極楽往生は治定の身であるからである。

 

  ”親鸞聖人は、自分のなきがらは加茂川の魚に与えよ”と仰せられたではないか。「庄松は墓石の下にはいないぞ」である。しかし、庄松の墓があるのは、御同行による報恩謝徳のはからいである。御恩報謝の念仏と同じである。決して追善供養のためではない。

 

 これが、小砂説教所の内部。やはり、中央にあるのは「阿弥陀さま」。戸帖の奥には正面に阿弥陀立像や庄松同行の絵像や人形、掛け軸などが安置されている。

 

 しかしのかかし、あまりにも風がきつくて寒くてたまらない。それで我が家へと引き返した。こんな日は我が家で暖かくしておくほうが得策だとばかりに・・・。

 

 で、我が家に戻ると風はやんでおだやかになって、空はすっかりと晴れ上がってきた。それでは・・・と、奥方のふとんをベランダに干した。昨日は私の布団を干したのだが、「私の布団はなぜ干さないの・・・」と云われたものだから・・・。

 

 ということでお布団を干したのだけれど、二時過ぎになると、急に空が暗くなり、遠くの山が白くなってきた・・・。これは大変だぞ・・・と、布団を取り込むと同時にはらり、はらりと雪が降り始めてきた。一階のベランダには洗濯物が・・・・。

 

 一階に駆け下りて、洗濯物を取り込んだら・・・・。雪はあっという間に上がってしまって。太陽が差し込んできて空が明るくなってきた・・・。春先の天候不順とは云うけれど・・・。

 

 その後は、例の「英国士官レキ研究報告会」のリハーサル。今日はサービス精神いっぱいでの講演になったら、軽く1時間半を超えていた。ま、報告会の時間は2時間を予定しているもので、余裕はあると思うのだけれど・・・。

 

 ただ、13時30分から15時30分という予定は、島外からお越しの方は、丸亀発11時10分の高速艇で、11時32分着。ただし、島には食堂がないので昼食の準備はお願いしなければならない。で、帰りは16時40分の高速艇ということで丸亀港着は17時過ぎというのが少し気にかかる。

 

 ただ、十分な知識的なおみやげはしっかりと用意しておきますので、どうぞ、お越しくださいませませ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。朝の「小砂説教所跡」にあったお皿に書かれていたことばで、「庄松いわく また生えにゃよいがのう 角(つの)があるまんまと聞こえなんだか」というもの。京都から名僧と評判の御使僧が来られたので、庄松さんもお参りしていた。すると、お説教を聞いていた隣の人が、涙を流して「いやぁ、今日のお説教はありがたかった。おかげで日頃の邪見の角が折れたわいなぁ・・」とつぶやきながらお念仏するのを、そばで聞いていた庄松さんの一言。「また、生えにゃよいがのぉ。わしは角があるままのお助けと聞いたがのぁ」と・・。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」という他力の大悲におまかせしてみると、悪業煩悩の角があるままお助けに預かっている悦びがある。凡夫のままに救われていく世界を庄松さんは感得されていたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ほっとして 春の息吹を 知った朝

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 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は0度から10度、湿度は72%から41%。風は2mから6mの北北東の風が強かった。明日の12日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるらしいが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜には雨の降る所がある見込みとか。

 

 今日は奥方は勤務で不在だし、天候もいいし・・ということで、少し足を伸ばしてのドライブになった。

 

 やってきたのは高松市西部の亀水町(たるみちょう)。五色台の坂出市寄りにある「瀬戸内海歴史民俗資料館」。とくに珍しい資料館でもないし、先日にもここにやってきている。

 

 というのも、この3月16日は「瀬戸内海国立公園指定80周年」ということらしい。そこで、テーマ展・「瀬戸内海国立公園指定と観光開発」展が始まっている。会期は5月25日までらしい。

 

 これがそのロゴマーク。平成26年3月16日、香川県を中心とする瀬戸内海が国立公園に指定されて80周年をむかえる。そこで、当時の瀬戸内海国立公園指定に向けた香川県国立公園協会などの活動を館蔵のパンフレットや絵葉書で紹介しているとともに、小豆島や女木島、屋島、高松をはじめとする香川の観光開発が国立公園瀬戸内海とどのような関わりを持ちながら進められてきたのかをふりかえると云うもの。

 

 また、戦前戦後期に地元の教育関係者や郷土史家、大学などが地域振興や日本の復興を目指して観光開発にどのように寄与したかについても、桃太郎伝説や浦島太郎伝説の観光化などを例に紹介している。(写真は香川県国立公園協会依頼・吉田初三郎鳥瞰図「史蹟と風光の香川県」(部分))。

 

 今から10年前、「こんぴら信仰と塩飽諸島」というテーマで、香川県ミュージアムで講演会をしたことがあった。そのときに、パワーポイントを使って、その画面上に、この「瀬戸内海国立公園指定70周年記念」のロゴマークを使ったことが印象深い。

 

 あの時は、台風で我が家が流された直後で、弟にノートパソコンを貸してもらって、社宅から香川県ミュージアムまで電車で行った記憶が残る。このパワーポイントのデーターは、かろうじてリュックザックの中に残されていたUSBメモリーに記録されていて助かった。

 

 あれから・・・10年なのか・・・という印象が強くて、この展示会にやってきたという訳。折しも今日は、あの「東日本大震災」から三年目。それもまた、印象深いことだった。

 

 ということで、今日も発表用のパワーポイントを使ってのリハーサルを行いながら、少しずつの修正作業。説明をする言葉と、スクリーンに映っている言葉の違いの修正を行ったり、追加したり削除したり・・・。いつになっても完成はないと思う・・・。

 

 このまま、暖かくなって、春になってくれればいいのだが、彼岸を過ぎるまでは、まだまだ、安心できる状態にはない。

 

 今日の掲示板はこれ。「死ぬる命を生きているんじゃない。み仏に生まれる命を今生きている」というもの。感動法話 『死ぬる命を生きているんじゃない』 釋順章さんの法話の中で紹介されている言葉から・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=x4k3TEMAsbI

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

落ち椿 明日の道が 見えてきた

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から雲が広がり、夜には雨の降る所があるらしい。気温は3度から13度、湿度は52%から44%、風は1mから4mの北北東の風が少し。明日の13日は、前線を伴った低気圧が西日本を通過するため、朝から夕方にかけては雨となり、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 今日は天気もいいことだしと、奥方のお布団を干すことにした。先日は干してしばらくすると雪が降り出したものですぐに取り込んだことだったし・・・。

 

 午前中はプラスチックゴミのゴミ出し・・・。先月は京都での研修に行っていたもので、プラスチックゴミと空き缶ゴミは二ヶ月分。朝にはプラスチックゴミで、夕方には空き缶ゴミ。これがまた半端でない数量。ついでに生ゴミと燃えるゴミも処分して・・。

 

 11時半前に奥方のけいこばぁが戻ってきて、「おうどんに行くよぉ〜」と云う。泊まり勤務から戻った時はいつもこうだ。「今の時間からは混むから・・・」と云うのだけれど、「たまりは回転が速いから・・・」というので、「うどん溜(たまり)」に行くことになった。

 

 元は醤油の醸造元だったというが、外観は普通の民家風。ここはお昼時になると行列のできるお店。お店に着いたのは12時前だったのだが、丁度、早い人と、お昼を過ぎてからの間だったものか、並ばずに食べられた。

 

 私は珍しく「しっぽくうどんの小」。けいこばぁは「かけうどん小+溜まりうどんの小」。よほど、おなかが空いていたんだろうか・・。

 

 こういうお店で、うどん屋、それも「セルフのお店」とは思えない雰囲気。まるで、「古民家カフェ」みたいなお店。

 

 この左手がカウンターだが、12時過ぎとは思えないほど静寂・・・。外に出たら、もう、行列ができていた・・・。

 

 午後からは1時間コースの散歩に出たが、それぞれの時期を待っていたんだろうか、そろりそろりと花が開き始めてきている。

 

 お隣さんのサンシュウも黄色い花を開き始めている。それにしても、この集落も人の居ない集落になった。お年寄りたちは寒いせいで出て来ないのか、それとも体調を崩して寝込んででもいるのだろうか。まるでしわく広島のように静かな里になってきている。

 

 ま、全く人が居ないわけではなくて、若いというても中年の人たちは働きに出ていることもあって人が居ないということ。しかしのかかし、ここも限界集落に近いなぁとは思うことしきり。

 

 ということで、今日も例の「英国士官レキ研究報告会」のスライドのリハーサルと画面の入れ替えや追加をやっていた。リハーサルをするごとに、「あ、あれも入れたいな」「あれを入れると、こちらは不要やな・・」と、加えたり削ったりの連続。

 

 でも、ああだこうだと述べてきて・・、最後のまとめが弱いなぁと思って考え込んでいる。「話の落としどころが分かっていない」と、法話の実技でも叱られたけれど、最後の盛り上げ部分、サビの部分がイマイチだなぁと思った今日の一コマ。

 

 今日の掲示板はこれ。「自信とは自分を信じることじゃない。自分のしてきた事を信じることだ」と云うもの。これも、誰の言葉かはわからないが、あちらこちらで見かける言葉。確かに言えることは、「自分のしてきたことを信じること」。逆に言えば、「自分のしてきたことが信じられないならば、私は何をやってきたのだ・・・ということになる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

侘び助が 明日の予定を のぞき込む

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 さぬき市地方は前線を伴った低気圧の影響で雨となり、しっとりとした雨の一日になった。気温は9度から18度と暖かめ。湿度は87%から84%。風は1mから4mの西南西の風が少し。明日の14日も気圧の谷や寒気の影響で、雲が広がりやすい予報。

 

 と言うことで、今日もデスクワーク三昧。来週に迫った「報告会」のためのリハーサルと、パワーポイントのスライドの修正と追加。今日はとうとう「薩英戦争」を追加した。あの、広島で亡くなった「Lake」さんは、アーガス号という戦艦に乗って、薩摩藩攻撃に参加していたと云うのだ・・・。

 

  赤の?番、アーガス号に乗っていたというのだから、この攻撃に参加していたことは確か。この戦いでどちらが勝ったのかは別として、この頃の英国海軍はやりたい放題だったような・・・。

 

 こういうことをやっていると時の過ぎるのを忘れていて、今日もお昼を食べ逃してしまった。ま、おなかが空くような仕事でもないので、お茶でも飲みながらのコツコツ作業。

 

 お昼過ぎからは雨が強くなったが、それでもしとしとと静かに落ちてくる細い雨だから全く気にはならない。この二階のバルコニーはこのように床板と床板の間に鉄板が挟んであって、水滴が一階部分に垂れないように作られている。一枚一枚、鉄板をコの字に折り曲げて、溝を切ってはめ込んであるという手間の込んだ作品になっている。

 

 ちなみに、「ベランダ」というのは屋根と床があるものを「ベランダ」。二階以上にあって屋根がなくて手すりや壁があるもので仕切られていて、床のあるものを「バルコニー」と云う・・らしい。ちなみに「テラス」というのは平らな床のある場所で屋根のないものでリビングやダイニングに連結する屋外フロアのこと。

 

 だから、我が家の場合も、一階はベランダで洗濯物を干す場所になっていて、二階がバルコニーと云うことで、布団を干したり気分転換をする場所とか、最近は「野猿」の監視所とか「ジェット花火の打ち上げ場所」になっている。たまにはエアガンも発射される・・・。

 

 野の花も少しずつ少しずつ花開いてきている。私たちも少しずつ少しずつ歩んでいかないといけない。昨日より今日、昨日より今日を繰り返していけば、少しずつだけれど成長してゆけるのではあるまいか。

 

 そそ、「おへんろつかさの会」から行事の案内が来たが、徳島から高知に至る「おへんろバスツアー」も魅力的なのだが、時間的に無理。5月の中旬に行われる「つかさの会総会と懇親会」には是非とも行かねば・・・と思ったのだが、あいにくと、所属寺院の「春の永代経法要」とぶつかった。

 

 暇なときには暇なのだけれど、行事があるときにはぶつかってしまう。あれ、今日は「流水灌頂」の日ではなかったのか・・・。しまった、しまった、島倉千代子・・・。貴重な行事だったのだけれど、あの雨の中でも法要は行われたのだろうなぁ・・・。

 

 例年、この時期には気候の変動で、肺炎になったり心不全になったりして入院することが多かったのだが、今年は精神的にも安定しているのか、そういう病気にもならずに済んでいる。五年前には、入院したまま・・・退職してしまったということもあったし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「何千ものろうそくは、一本のろうそくで灯すことができる。それでろうそくの命が短くなることはない。幸福も分かち合って減ることはない」という仏陀のことばらしい。何千ものろうそくも、一本のろうそくより火を得ることができる。それでいて、最初のろうそくの命が短くなることはない。(厳密にはそのろうそくが働いている間、ろうそくは短くなっているのだが)。幸福は共有して分け合っても、その幸福が損なわれることはない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


すぐそこに 梅の花あり 六地蔵

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 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、午後は雨の降る所があるようだった。気温は4度から9度、湿度は78%から56%。風は4mから3mの北西の風が少し。でも寒い一日になった。明日の15日は高気圧に覆われて概ね晴れるし、気温も上昇する見込みとか。

 

 まだまだ先だとばかり思っていた、「レキ報告会」まで五日しかなくなってきた。それでもまだ、満足できる結果になっていない。いつになっても完成までにはほど遠い。でも、そうも云ってはいられないので、二・三日中にはまとめなければいけないのだが・・・。

 

 と云うことで、今日もデスクワーク三昧。乾いた目玉がなおさら乾く・・・。目薬ばかりが痩せて行く・・・。

 

 外では雨が降ったりやんだりしながら、冷たい風が吹き流れていく。だから、今日は散歩にも行かず、朝夕の迷犬ごんの散歩のみ。お昼のおうどんも今日はなし。まるきりの引き籠もり状態。

 

 今日は日本側の、「水野和泉守忠精」・「水野千波」・「上野敬介」という人物を捜していたが、肝心のことが出て来ない。水野忠精はある程度の情報はあるが、忠精と千波は関係があるのかどうか。同じブラントンの周辺にいたのだが、同一人物なのか違う人なのか・・。上野敬介がまた、これ、わからない人だ。

 

 今朝方の2時6分だかに伊予灘を震源とする深度5強の地震があったらしい。確かに大きな横揺れだったし、時間も長かったように思う。けいこばぁは飛び起きてテレビを付けたり、廊下を歩き回っていたが、夜中に歩き回るのも危ないものだ。我がさぬき市では震度4とか云うていたが、そんな大きなことにもならなかったようだ。

 

 私はゆりかごみたいだなぁとのんびりと寝ていた。我が家にはタンスとかの家具が全くない。全くないと云うてもけいこばぁの嫁入り道具は屋根裏部屋にあって、人の居る場所にはないってこと。ま、テレビとかパソコンとかの幾らかのものはあるが、それらが飛んできたり倒れたりすることもなかったし、階下の台所の食器とかもなんともなかったようだった。

 

 我が家は8年前に新築した耐震建築の家だから、こわれたりすることはないと安心して寝ていた。慌てて行動するより、布団を被って寝ているほうが安心だわいとそのまま眠ってしまった。気が付いたら7時を大きく過ぎていた。朝のラジオ体操に間に合わなかった。

 

 朝のテレビでも、四国ではそんなに被害もなかったようだった。それだし、東南海地震の前触れでもないみたいで一安心。でも、比較的地震のすくない四国にしては大きな揺れだったかなぁとは思った。

 

 そうは云うても、ガラスが割れたり、食器が割れたりとすごい音が聞こえたら、そんなに呑気には寝ていられなかっただろうとは思う。ま、単に大きく揺れただけ・・・ということだから、ぐっすりと寝ていられたのだろうとは思う。携帯電話やタブレット端末も別室にあったから、「エリアメール」が鳴り響いても聞こえなかったのかも。

 

 ま、そういうことで、我が家は何もなくて通常の一日になった。当たり前がありがたい・・ということだ。

 

 午後からはプロジェクターや、接続コードの点検をやっていた。いざというときに、これが動かないとお仕事にならない。ま、報告会場にはプロジェクターやらスクリーンはあるのだけれど、自分の使い慣れた機器を準備しておくことも大切。まさかの時にはこれが役に立つ。接続コードも長さの違うものを何パターンか用意してある。備えあれば憂いなしだ。

 

 ということで、少しずつ、準備が進んでいる。既に報告会のチラシは配布され、ポスターは掲示されているし、当日配布用の資料も印刷されて準備万端。あとは、この私が会場にパソコンと、そこに内蔵された「パワーポイント」資料を持って行けばほぼ準備完了。最後は私がどれだけの報告ができるかだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなにつらい悲しみにも それにふさわしい幸せがきっとある」と云うもの。どんなにつらい悲しみにもそれにふさわしい幸せがきっとある。そのあとに、「いまが幸せと思わないと一生幸せになれない・・・」という言葉が続く。ご存じ、荒了寛先生(天台宗米国ハワイ開教総長)の言葉である。今が幸せな時は、過去のどんなに辛いことも必然であったと思うのは不思議なことだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

午睡する 菜の花畑の 寝ぼけ顔

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3度から11度、湿度は75%から42%。風は2mから5mの西北西の風が少し。明日の16日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。今日は春めいてうぐいすの声や小鳥の鳴き声がよく聞こえたことだった。

 

 さて、昨日の不明の3人(水野忠精・水野千波・上野敬助)のことで教えられた本を探しに県立図書館に出掛けてみた。

 

 ここの馬酔木が咲き出していた。ここには白い花と薄紅色の花があって壷形の花をいっぱい咲かせる。かすかな香りがしていて、枝葉に「アセボチン」という有毒成分を含んでいるらしい。馬が食べると酔って足がなえることから、しだいに変化して「あしび」そして「あせび」となったという。漢字の「馬酔木」もその由来によるとのこと。

 

 これを見ると春らしくなったなぁと思う。

  

 こういう本ほか4冊を借りてきた。この中には英国技師のリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計した灯台の写真が収められている。この本を見て驚いた・・・。

 

 これは瀬戸内海にある「鍋島灯台」で、こんな変わった形の灯台はここだけだろうと思っていたが、この本の中には同じようなものが幾つもあった。そりゃそうかも。同じブラントンが設計したのだから。

 

 これは淡路島にある江崎灯台。ここは高い場所にあるせいか背が低いが同じような形である。

 

 これは下関にある「六連島灯台」これも背丈は違うが同じような建物である。ほかにも何カ所か似たような灯台がある。灯台と云えば背丈の高いろうそくのような灯台だと思っていたのだが、同じ人が設計すると似たような形になるものか・・・。

 

 他にも四冊ほど借りてきたが、明治初期の写真集ばかり・・・。

 

  上野敬介という人物を捜し出してきた。正式には上野景範(かげのり)と云うのだそうだ。薩摩藩のころから洋学を学び、新政府に取り立てられて、ブラントンに同行して各地の灯台建設に関わった。その後、ハワイへの勤務を命じられ、ハワイ移民第一号となった人。

 

 水野千波という人は、水野若狭守良之という幕府の外国官から新政府の外務小丞を勤めたり、福岡県権参事から参事として活躍した人だとか・・・。同じ水野でも、系統の違う水野家であるらしい。だから、この人もブラントンに関係していたらしい。

 

 ということで、今日のお昼はここになった。木田郡三木町上高岡にある「手織うどん。滝音(たきね)」というプチセルフのおうどん屋さん。

 

 で、トッピングが8種類という「まかないぶっかけ・小・温い」を注文した。肉・わかめ・大根おろし・かまぼこ・あげ・温玉・ねぎ・レモン・・・。これだけ乗っているおうどんも珍しい。それでも飽きたらずに、おろししょうが・天かすを載せる強者もいるというお店。

 

 この我が家にあるもの。私の母だったさっちゃんは、「サンシュウ」と言うていたし、このあたりでは「サンシュー」と云うているのだが、FBF(フェイスブック友人)の北海道の「きなこさん」から、これの正式名は「サンシュユ」と云うのだとメッセージを頂いた。漢字で書くと、「山茱萸 (さんしゅゆ)」ということで、「サンシュ」+「ユ」なのだという。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるうえで「悩み」はつきものです。 全く悩みのない人生など有り得ません。 生きるということは すなわち悩みと共に歩くことなのです。」と言う桝野俊明さんの言葉らしい。しかしのかかし、悩みが生まれる原因はただ一つ。それは何かにとらわれているからで、欲望や夢、ときには人間関係にさえも執着してしまう。その執着にこそ、悩みの発端があるのではないか。執着をまったくなくすことはできないが、それを受け入れて生きて行くことはできる。 悩みを悩みとして共存して生きてゆくことはできるもだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

やりなおす 明日を目指して 藪つばき

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 さぬき市地方は夕方まで強風や高波に、17日まで空気の乾燥による火の取り扱いに、17日朝は霜に対する農作物の管理に注意するようにという予報が出ている。天候は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3度から18度。初夏のような気温になった。湿度は58%から47%と乾燥気味。風は1mから5mの西南西の風が強い一日だった。裏庭の植木が折れて倒れたほどの突風が・・・。明日の17日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今朝は暖かい朝になって、迷犬ごんの散歩も気分よくできた。朝方の風は少しばかり冷たいかなぁと思ったけれど、周囲の空気が暖かくなってきている。

 

 さて、今日は瀬戸内海一帯が国立公園に指定された日で、今年はその80周年に当たると云うことで、屋島山上あたりでは記念のウォーキングも行われたらしい・・・。

 

 ということで、研究報告会のタイトルバックもそれを記念するものに置き換えてみた。

 

 今日は天気も良いので集落内一周の1時間コースの散歩をしてみた。しかし、日曜日でも誰にも出会わない。県道に出ると自動車の数やバイクの数が多くなったが、人と会話することはなかった。

 

 今日は久々に町内(さぬき市大川町富田中)にある「杉本うどん」というプチセルフのお店に寄った。ここにもずぶんとご無沙汰をしている。

 

 で、時にはあっさりと・・・ということで、わかめうどんの小をいただいた。280円だった。いつの頃からか、麺の太さが細くなってマイルドになってきたかなぁと感じた。

 

 午後からも報告会の資料の手直しをやっていたが、午後の15時から集落の「地神さん」の掃除当番だというので出かけてきた。春と秋の二回ずつ、この「地神さん」と「山の神さん」の二カ所のおまつりがあって、あさっての12日がその例祭だと云う。その前の掃除当番。

 

 地神さんというのはこうした「地神塔」を建てて、「社日」という日には祭礼を行った。社日は、春・秋の彼岸に一番近い「戌」の日。この日は、農耕を休み「地神さん」の周りで祭礼を行う。この日に農作業をすると地神さんの頭に鍬を打ち込むことになるといわれ、忙しくなる時期ではあるが、総ての農家が農作業を休んだ。

 

 「地神さん」の周りには、こうしたのぼりを立て、注連縄を張り、沢山の供物が供えられた。
おまつりが済むと、その供え物は子供達に分け与えられた。だから、子供たちは「地神さん」の周りに集まって、お下がりを頂くのが楽しみであった。

 

 だが、近年はこどもはおろか若者の姿もない。肝心のおとなも特老の施設に入ったり入院したりでいなくなって、今日は二人で掃除をすることになった。このままでは、こういう例祭もできなくなるなぁと話したことだった。

 

 野の草花たちは力強く生き抜いて子孫を残し続けているのに、私たちはその自然の流れについていけていないなぁと思ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生はやりなおしはできないが 出直しはいまからでもできます」というもの。荒了寛さんの言葉だと思われる。私も65年間生きてきて、もう一度人生をやり直したいと思うことは多々あったし、反省も後悔も何度も何度も繰り返してきたが、時計の針を戻すことはできないし、カレンダーを書き換えることもできなかった。人は失敗して、落ち込んだり、ときには心に傷を負うこともあるけれど、過去を後悔しても仕方ないこと。だから、ほんの少しだけ勇気を持って、気分を変えて、出直すことしかできないのだと思った。人生とは、やり直すことはできないけれど、出直すことは何度でもできるし、これから、今からでもできるものだと思っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

のそのそと 散歩の主婦の 手に椿

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は7度から16度、湿度は85%から58%。風は2mから3mの東南東の風が少し。これが意外と冷たかった。今日、?松でたんぽぽの開花が観測されたそうで、平年より30日遅く、昨年より2日早いのだそうだ。明日の18日は、気圧の谷の影響で雲が広がり、昼前から雨の降る所がある見込みとか。

 

 今日3月17日は「望」ということで「満月」だそうだ。正確には今朝の2時というから昨夜ってことになる。これがその満月・・・。

 

 最近は目が弱くなったせいか、月も星も見ることはなくなったのだが、昨夜、トイレに起きたら、あんまりにも明るいので何ごとが起こったのかとバルコニーに出てみて気が付いた。で、慌ててカメラを持ち出しての撮影、モードを切り替えてやみくもに撮った中の1枚。

 

 今朝もいつも通りの迷犬ごんの散歩、集落内ぐるりと散歩1時間コース。しかしのかかし、体重は65Kgからは下がらない。まだまだ運動量が足りないし、汗をかくこともないからか・・・。

 

 散歩から戻ると、報告会の配布用資料の修正版を事務局宛にメール送信。英国士官レキの墓に関係した人々の一覧表。日本人11人、英国人11人計22名と艦船5隻のリストである。

 

 今日は奥方の希望でここでのお昼になった。さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店。けいこばぁ御用達のお店である。

 

 で、「天ぷらうどん並」で700円。けいこばぁはいつでも「かけうどん」とおでん二品目。

 

 今の時期に松茸があるのかいな・・・。冷凍松茸ってあるのだろうか。缶詰入り松茸とか・・・。

 

 その後、髪を切ってもらってさっぱりとして19日の報告会に臨もうと・・・。でも、明日の15時から、自治会の「地神(じじん)さん」の春の例祭があるので、しわく広島には19日の9時30分の「しわく丸」に乗らなければならない・・・。今回は当番で、けいこばぁはお仕事でお泊まり勤務になっているから仕方がない。

 

 午後からは「リハーサル」をしようと思ったが、さすがに連日ともなると飽きてしまう。で、やる気が出なくなったので今日はやめにした。あとは当日にぶっつけ本番で行く方がパワーが出そうだ。

 

 と言うことで、昼からは山の旧宅に行ってお墓のお花を入れ替えてきた。明日が「彼岸の入り」ということなので、お花を新しくしておこうと云うことで。掃除もしようかと思ったが、まだ冬のせいか草も伸びていないし・・・。まわりのゴミを拾っておしまい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「やってやれないことはない やらずにできるわけがない」という「斎藤一人」さんの言葉。やってやれないことはないのだと、最近、そう、感じることが多くなった。かと云って、空を飛びたいとか世界一のエンジニアになりたいとか、そういうことではなくて、やりたいと願っていれば叶うものだと思うようになったし、夢中になってやっていればどぅにかなるものだと思ってみたり。ただ、やれないと諦めて、やらなければ絶対にできる訳がないのも道理であるし・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

日脚伸び 今日の散歩は やや遠く

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 香川県地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていた。気温は9度から16度、湿度は78%から85%。風は1mから3mだが、今日、四国地方に「春一番」が吹いたと発表した。昨年より17日遅いのだという。春一番らしい風が吹いたのは16日だったのだけれど・・・。明日の19日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 我が家の梅は満開状態。となりの「サンシュゥユ」も満開状態。このまま春になるといいのだけれど。

 

 いよいよ、報告会が明日に迫って、発表用パワーポイント資料の最終チェック。いまさら、じたばたしたって仕方がないのだけれど・・・。念には念を入れて・・・。ときに、大事なポカを見逃していて大慌てするものだから・・・。

 

 奥方のけいこばぁは八時半になったらお仕事に出かけて行った。今夜はお泊まり勤務。

 

 だから・・・と云う訳でもないが、今日のお昼はこのリンゴと野菜ジュース。ダイエットだというのだけれど・・・。

 

 その間に、今夜からの「島帰り」のための食材とビールの買い出し、マイカーの給油をやっておく。それと、今日の「地神(じじん)さん」のお供えの買い物も・・・。

 

 「地神さん」というのは、春の農作業の前に、土地の神様に豊作をお願いするおまつりだと思う。地神塔の芯石は五角形で、?天照大御神(あまてらすおおみかみ) 農業の大祖神。? 大己貴命(おおなむちのみこと)大国主命のこと。畜産業を教え、医療の法、禁厭の法を伝え、鳥獣昆虫の災危をはらう神。? 少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命を助けて国造りに功あり。畜産のため療病法を創め、鳥獣昆虫に対する禁厭の法、温泉の神、酒の神。? 倉稲魂命(うけのみたまのみこと)、 食物の神。? 埴安媛命(はにやすひめのみこと)、土壌を司る神。の五つの神様をおまつりする。だから、五本ののぼりばたが立っている。

 

 で、15時からは「直来(なおらい)」が行われて、集会場でお供え物のお下がりをいただいて世間話やら情報交換。今はさぬき市の光化工事のなんだかんだ・・・。私はお式が終わったら一目散に丸亀に向かった・・・。

 

 これは桜なんだが、山桜でもないし、何という桜なんだろうか、あちらこちらで見かけるけれど、一足早い桜のようだ。

 

 17時30分丸亀港発の高速艇に乗って、予定通り18時前に島の家に着いた。今日の乗客は7人だけだった・・・。

  

 早速に風呂の準備をして食事も済ませた・・・。とにかく、島に帰っていると、明日の講演会はなんとかなる。

 

 我が家のサクランボの桜が満開だった。ということは、朝の桜も「サクランボ」の桜なんだろうか・・・。いや、確かに我が家の桜が「サクランボ」だという保証はないのだけれど・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「いい仕事をしている人はいい顔をしています 仕事を楽しんでいる人の顔は輝いています」という「荒了寛」さんの言葉。私もそうだと思う。いやな仕事をしていると顔つきもいやな顔になっていたりするし、仕事を楽しんでいない人の顔は楽しそうではないと思う。私も半分半分だったかなぁと思ってみたりする。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

春の日は あっという間に 暮れ過ぎる

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 丸亀地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夜には雲が広がるらしい。気温は8度から13度、湿度は84%から46%。風は2mから4mの北北東の風が少し。今日、高松でつばめを観測したらしい。平年並みで昨年より6日早いのだそうだ。明日の20日は、前線を伴った低気圧が四国の南岸を通過するため、午前中を中心に雨が降る見込みらしい。

  

 我が家の桜は満開状態。サクランボの木だと言われて居るが、確かに赤い実はつくのだが食べたことはない。市販されているようには大きくもない。なんという桜なんだろうか。この島ではあちらこちらで咲いている。

 

 朝の間、浄化槽の排水路の調査をしたら、こんな道路の真ん中で何かが詰まっているらしい。だから、側溝に排水できていないらしい。こんなところで何が詰まっているのだろうか。茶色い物体が詰まっているらしい。

 

 まさか、道路を掘るわけにもいかないぞ。困った・困った・こまどり姉妹。それだし、トイレのタンクでも漏水しているし。島では誰に相談すればいいのかもわからないし・・・。

 

 朝の散歩は「江の浦集落」一巡の1時間コース。ここは真言宗の「地福寺」さん。今日も住職さんは不在だった。普段には法務もないので善通寺のほうにお帰りらしい・・・。

 

 島ではまだまだ水仙がいっぱい。朝の間は風も冷たかったが、昼前になると汗が流れるほどに温かくなった。

 

 今日は、「イギリス士官レキ研究報告会」の日。今日は研究会の女性部が、お昼をサービスしてくれるというので、お昼前に出かけて行った。

 

 わかめうどんにおにぎり二個、おつけもの付きの大サービス。いつもだったら食べきれないのだが、今日は片付けに困るらしいので、全部いただいて完食した。夕食が入らないと思う・・・。

 

 ここを何と呼べばいいのかわからない。石碑には「広島公民館」と刻まれているが、「広島市民センター」と呼ぶ人もいるし、「広島コミュニティーセンター」と云う人もいる。単に「広島支所」と云う人もいる。

 

 ここの会議室で、その報告会は始まった。始まったのだが、「英国士官レキの墓」のお話は、全く、生活には必要ではないこと。それだし、歴史のお話はあんまり好きでもないようで参加者が思ったほど集まらない。

 

 今日は「移動販売」のバスがやって来る日・・・ということで、生活用品や食料品を買う人が多くて、集まったのは20人ほど。よっぽどの歴史好きな人ばかり・・・。報告会が決まったあとで、バスの移動販売日が決まった・・・というのだから仕方がない・・・。

 

 ま、それはそれとして会は会として進めなければ・・・ということで、会長さんの挨拶などから始まって、終わった。これでお役目が一つ終わった。あとは、本山のレポート5本を書き上げて送らねば・・・。期限は四月末日。約40日の大きな峠。

 

 今夜も島で泊まって、明日の朝に島を出るつもり・・・。浄化槽の手当とトイレの水漏れ、洗濯機の水漏れも気に掛かるし・・・。ここのテレビも20年を過ぎたから、Eテレしか映らなくなった。Eテレは子供にはいいかもしれないがおじおさんにはちと退屈・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「思った通りにはならないが やったとおりにはなる」と云うもの。天台宗の大僧正である荒了寛さんという方の言葉である。多くの方が経験することだが、人の行動は決して思いどおりにはならない。それは人が思ったとおりには行動しないからである。人は、いつも自分が思った通りに行動しているものと思い違いをしているもの。でも、実際は、思った事をやらなかったり、思ったことを先延ばしにしたり、時には思った事と全く逆のことをやったりしていることもある。もし、思った通りのことをやりたいのならば、今、自分がやっておいることは、本当に自分のやりたいことなのか、今、やっていることを続ければどうなるのか・・・・ということに気がついている必要があるように思う・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

何色と 問えば黄色の 春の里

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 さぬき市地方は前線を伴った低気圧の影響で雨が降っていた。夕方には少し明るくなってきたけれど、気温は9度から12度、湿度は87%から76%。風は1mから2mの西北西の風が少し。明日の21日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、明け方には雷を伴って雨が降る見込みとか。

 

 丸亀市広島町の朝は小雨・・・。たいした雨ではないが雨・・・。ノートパソコンの入ったバッグを何重にもゴミ袋で包んで防水処理。なんだのかんだのと云うてる間に、もう、草が伸び出してきている。

 

 特に、浄化槽の周囲はあふれた汚水の養分を吸って勢いよく雑草が伸びている。だんだんと状況は悪くなる一方・・・。

 

 8時35分発のしわく丸に乗ってしわく広島を出る。此岸も浮き世、彼岸も浮き世。こちらにはこちらの楽しみと苦労があって、向こうにはむこうにも楽しみと苦労が待っている・・・。

 

 昨夜は「レキ研究会」の会長さんと反省会。四月からの活動をどうするべ・・という話になった。来年度も活動をやっても、もう、新しい事実は出てきそうにもないし、福武財団の援助は受けられそうにもないし・・・。中井初次郎の件も、紙屋仁蔵の件も進展しそうにもないし・・・。

 

 四月からは気分を入れ替えて、新しいことでも見つけるとしようか。でも、その前に宿題を幾つも片づけておかねばならない。そう思うと、こころ重たい木曜日・・・。

 

 丸亀市に戻ると雨足は激しくなってきた。そんな中、幾つかのホームセンターを回ってきた。

 

 トイレのロータンクのボールタップ装置。レバーを回して排水し、トイレを洗浄した後、プラスチックのボールが上昇して水道の栓を閉めてロータンクに入る水を遮断する部分だが、その遮断する部分のパッキングが緩くなって、そこから日常的に漏水して水道費が異常に高くなっている・・・。どこのどういうものが使えそうで、安く仕上がるか・・・という計算をしながら・・・。

 

 お値段をするものを買っても、うまく接合できなければ無駄遣いになってしまうし。A社は安いけれど、こんなんでつながるんだろうか・・・とかと。本土だと、ちょいと水道屋さん、見てくださいな・・と、言えるんだけれど、「島は勘弁してくださいよ〜」というお店が多いし・・・。

 

 それと、これ。「洗濯機パン」と云うもの。水道の水圧の関係か、洗濯機が傷んだものか、注水時に水道水が本体内側にこぼれてしまう。量は多くはないのだが、洗濯物が多くなるとバスタオル二枚がずぶずぶになるほど。私一人分だと全く関係ないくらいの少量。だからこれで受けて、排水溝に流すようにする・・・。洗濯機を交換して、それで解決するとは思えない・・・。

  

  と云うことで、今日のお昼はここになった。綾歌郡綾川町羽床(はゆか)にある「本格手打ちうどんセルフ はゆか」というセルフのお店。

 

 朝昼兼用ということで、今日は「肉うどん小」にした。400円。ここも県外ナンバーの車が目立つ。それも若い女性がスマホ片手にうどん談義をやっている・・・。

 

 私にすれば、うどんは日常なんだけれど、県外からのお客様には異次元的な空間なのかもしれない。それは、私らが「あべのハルカス」に行ったり、「スカイツリー」に行くようなものかもしれない。

 

 我が家に戻ると、昨年秋に届いた、浄化槽保守業者さんから届いている検査報告書を探したが、これが案外と見つからない。大事なものだからと、パソコンの周辺に置いたのだが、探すとなると見つからない。そこいらじゅうの書類やファイルや手紙類をひっくり返して探してみても見つからない。

 

 業者さんの名前や住所や、検査結果を見ないと、どこの誰に文句を言うのかがわからない・・・。困った困った・コマ撮りしまい(最近の辞書はこんな変換をする)。「こまどり姉妹」じゃないか。

 

 あれこれ探してお手紙書いて、写真も五枚も添付して、香川県浄化槽協会からの検査結果と所見および留意事項らのコピーを添えて、文句をいぃぃの、お願いをしぃいのぉ・・のお願いをすることにした。が、時期が悪くて、明日からは三連休・・・。

 

 今日もまたまた、荒了寛先生のお言葉の掲示板。「だまされて人間がわかる 失敗して世間がわかる 悲しんで幸せがわかる」と云うもの。先日には東日本大震災から三年になった。悲しんで幸せがわかった人も多いはず。人にだまされ、事業に失敗し、多くの人々の悲しみに触れて、「三千大世界」が見渡せるようになってくる。まだまだ・・・そういう世界にはたどり着けない私たちである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


我がこころ 白一色に 染める梅

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 さぬき市地方は、寒気の影響で瀬戸内側や山地を中心に雲が広がり、雨や雪の降っている所があった。気温は6度から10度、湿度は84%から46%。風は4mから6mの北西の冷たい風が吹き荒れていた。三寒四温だか知らないが冬に逆戻りしたような冷たさだった。明日の22日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 今日はお彼岸の中日、春分の日と云うことで、予定の行事はてんこ盛りにあったのだが、空気が冷たいので肺炎になったら命取り・・・ということで外出は禁止。ということで、今日も「引き籠もり状態」のパソコン三昧。またまた、目が乾いて痛い・・・。

 

 そろそろと、「英国士官レキ研究」もおしまいにしないといけないぞ・・ということで、今日はホームページの更新作業。今までの調査研究で見つけたことを、ホームページに反映しておかねば・・ということだ。

 

 これが、発端になった「シルビア号ジョン艦長からの感謝状」。この一枚が歴史をゆがめてしまうことになったのは皮肉なこと。この手紙があることで、「1866年」「HMSシルビア号」「ジョン艦長」が垣根を作ってしまって、「英国士官レキの墓」の真実を覆い隠してしまった。

 

 つまりは、ジョン艦長の思い込み、勘違いから歴史が曲がってしまったと云うことになる。そういうことって、あちらこちらにあるように思う。書いた文書がある。書いたものがあるということで歴史を信じてしまいそうだけれど、それだって危ないってことだ。所詮、人間のすることなのだから。

 

 この看板を書き換えるとすれば、「明治元年(1868)英国の軍艦マニラ号が瀬戸内海の燈台用地調査中、士官のレイクが死亡した。そこで近くの広島に着け遺骸を江の浦の西のはずれの人里離れたところに葬り十字架の墓標を建てて去った。明治四年(1872)に江の浦の医師の岡良伯という人らが英国士官の霊を悼んで長谷川三郎兵衛という会計官の指示によって墓碑を建てて菩提を弔うようにした。後に英国より感謝状が送られて来た。」と云うことになる。

 

 これは、しわく広島にある「羽節岩灯標」(明治28年1月25日初点灯)の灯油倉庫。今は太陽蓄電池で点灯されており、この建物には村役場の古い資料が入っているだけ。なんとか活用できないものか。本来ならば、海上保安庁のものになっているはずが、保安庁は「そんなものはない」と云うのだそうだ。仕方なく、廣島村から丸亀市の所有ということになるらしい・・。

 

 ということで、今日は町内のここでお昼になった。我が家から車で数分の所にある「手打ちうどん・まるたけ」というセミ・セルフのお店。ここだと、時間帯を少しずらすだけで並ばなくとも食べられる。ここもさすがに12時を過ぎたら行列ができる。それでも十分も待てば充分に食べられる。

 

 最近はこういうパターンも多い、わかめうどんの280円。さっぱりとして気分がいい。麺もまろやかですっきりと食べられる。お出汁も濃くなくてあっさり系。

 

 最近はすっかりと横着になったものだと思う。新しいうどん店が開店したと云えばどこまでも出掛けて行ったし、話題のお店だと云えば何を置いても出掛けたものだが、近頃は手近なお店で、「おなかがおきればそれでいい」みたいな気分になってきた。さすがにおうどんにも飽きが来たのかも知れない。

 

 午後からも似たような作業が続いた。「レキ墓研究」を今月末で片づけてしまいたいと思う気持ちが強くなってきた。私は若い頃から「熱しやすく冷めやすい性格」だなぁと思ってきた。それが、三年も続いてきたのだから、そろそろ潮時だなぁとは思っている。

 

 今日はお彼岸の中日だから、親戚のものがお墓参りやお仏壇参りに来るから・・・ということもあって、自宅待機をけいこばぁに云われていたのだけれど、とうとう、誰もお参りに来ることはなかった。人生、死ねばおしまいなのかなぁとも思ったことだった。母が居なくなると、お墓参りやお仏壇参りがあるかなぁと思ったのだけれど。

 

 今日はセンバツ高校野球が始まったらしいが、そういうことも眼中になくなって、大相撲も優勝争いが熾烈になってきているらしいが、そういうものも眼中にはない。そういうものに夢中になれない、無気力・無感動の私になっているのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「外灯というのは人のためにつけるんだよな 私はどれだけ外灯をつけられるだろうか」と言う相田みつをさんの言葉。私が現役のころ、ある時期に、当社所有の電柱に街灯などを設置する許可を認可する担当になったことがある。あの頃によく聞いた言葉に、「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう...心の灯(ともしび)と言う、たぶんほとんど人が耳覚えのあるカトリック系のラジオ番組での一節が耳の奥底まで鳴り響いていた。社会を明るくする運動・・・ということで、街灯を多くした時期もあった。そういう「外灯・街灯」ではなくして、こころの「外灯」をいかに多くつけられるだろうか・・・と、相田さんは云うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

春の夜は 静かに暮れて ゆくばかり

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3度から12度、湿度は68%から43%。風は1mから6mの北北西の風。すっかりと春の天気になってきた。明日の23日は、引き続き高気圧に覆われて晴れて、気温も上昇する見込みらしい。

 

 今日は風もおだやかでいい天候になったのだけれど、奥方が娘家族のおうちのお手伝いに出掛けたもので、一人ぼっちでお留守番。お彼岸のお仏壇参り・お墓参りのお客さんが来るといけないというので外出禁止令・・・。

 

 ということで、今日もホームページの更新作業。レキの墓関連の記事の修正と追加。あとは、論文の修正と印刷・製本作業だが、これは梅雨時のデスクワーク用ということでしばらく保留。

http://www3.ocn.ne.jp/~h-kimm/

 

 その後、本山での研修のレポート作成。「タマシイはあるのかないのか」という奇妙な課題を、しかも400字程度にまとめなさい・・というもの。短いのは苦手だ。簡潔に、「タマシイはあるのか、ないのか」というのは難しい。あるような、ないような、あると云えばお馬鹿さんみたいだし、ないと云えば現代過ぎて・・・。どういう視点でタマシイを見るのか・・・ってことだ。

 

 10時過ぎに弟の「たっくん」がやってきて、お墓参りに出掛けてすぐに、叔父さん(父の弟)夫婦がお仏壇参りにやってきた。けいこばぁがいないと、お茶も出せず・・そのまま帰ってしまった。弟は昼前に戻ってきて、「うどんに行こうぜ」と云うので二人でうどん屋に向かった。

 

 で、最近はここが多くなった。さぬき市造田宮西にある「さぬきうどん溜(たまり)」というプチセルフのお店。相変わらず駐車場はいっぱいだったが、難なく駐車できたし、お店にも行列はできていなかった。

 

 ここに来たらこれだろうと、二人とも「たまりうどん小」を注文した。350円だった。おうどんにとろろを乗せて削り節と大きな梅干しが載っている。ここに醤油をふりかけて食べるもの。これがあっさりとしていておいしいのだ。梅干しをからめると少しすっぱくて、なお、おいしくなってくる。

 

 食後はドライブしながら帰るということで、さぬき市志度という町を経由して、大串半島の大串公園を回ってみることにした。私にしたら珍しくはないが、弟にすれば久しぶりの場所になるらしい。

 

 瀬戸内海に大きく突き出した大串半島には、総面積100ヘクタールに及ぶ大串自然公園が広がっている。公園内には特産のぶどうを加工するワイナリーやテニスコート、野外音楽広場、サッカー場やらオートキャンプ場など多彩な施設が整備されて、しばらくは家族連れなどで賑わったが、今では大串温泉も休館となり、野外音楽広場も閑古鳥が鳴いている。

 

 こちらはさぬきワイナリー。ここでは、デラウェアやベリーAなど種類も豊富で、県内有数の生産高を誇るさぬき市のぶどう栽培を背景に、県内産初の本格的なワイン「さぬきワイン」を醸造・販売している。ワイナリーの工場見学は入場無料で自由に見学でき、試飲や直販も隣接しているさぬき市物産センターでできるようになっている。

 

 大串半島からは海岸近くの道路を東進して、さぬき市小田、さぬき市津田を経由して戻ってきた。我が家では春一番の強風で倒れた庭木を片づけたりしたあと、午後一時過ぎに弟も帰って行った。

 

 午後からは、「タマシイはあるかないか」のレポートを書き上げ、二本目の「本山史」の課題で、「何の知識も持っていないご門徒さんに、本山興正寺を紹介する文章を書きなさい」と云うもの。これまた、無理難題を・・・。なんとかかんとか、1000字近い文章にはまとめあげたけれど。要推敲。

 

 昨年は、「前期高齢者の仲間入り」の65歳と云うことで、気分的にも乗っていたし、やる気十分だったのだが、今年はそのような高揚感もないし、体力的にも精神的にも疲れが見えてきた。レポートの課題を見ただけで気分が滅入る。さすがに熱しやすく冷めやすい性格だなぁと再確認したところ。

 

 とは云うものの、まだまだ人生の到達点は先の先。こんなところでしょぼくれていてもつまらない。とりあえず、今年の七月一杯までは予定が目白押し。当面、そこまでは歩き続けてゆかないと・・・。

 

 今日もどうしたのか、荒了寛さんの言葉の掲示板。「執らわれると目が狂ってくる 欲が出ると耳が聞こえなくなる」というもの。あることに執着すると、そのことしか見えていないことが多くある。幾度もある。咸臨丸だったら咸臨丸のことばかり。レキの墓だったら、そのことばかり。周りのことなど見えてはいない。欲が出ると、そのことしか考えずにいて、他人の忠告なんぞまるで受け付けない。そういうことって、いくらもあることだ。それが私たちなのである。そのことに気づくことがまずもって先決問題なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

片付けは もう少し先 彼岸過ぎ

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3度から20度、湿度は76%から35%。風は1mから3mの北北西の風が・・・。全くの春の天候になってきた。明日の24日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷が接近するために夜は雲が広がる見込みらしい。

 

 朝方は気温も低く、風も冷たく感じられたけれど日差しはまさに春の陽光うららか・・・。そこで、今日の散歩は北方面の1時間コースになった。たまには見慣れた光景から違った風景にも出会わないと・・・。

 

 我が家から北に進んで鮎帰(あゆかえり)を経て松尾小学校を過ぎて県道まで出て・・・。みろく自然公園経由で戻って来るというコース。散歩するにはいい時候になった。

 

 小鳥の声もにぎやかになったし、ウグイスの声も上手になった。だんだんと花をつける植物も増えてきた。

 

 10時過ぎに我が家に戻ってきて、それから二階のバルコニーに布団を干した。前回は私のお布団だけを干して、奥方に叱られたもので、今日は奥方の布団も干しておいた。「当たり前でしょ!」と云われてしまった・・・。

 

 今日もお客さんが来るかも知れないということで自宅待機になった。でも、母がいなくなってからは、来客もすっかりと減った。だから、この三連休はどこにも出掛けずに居た・・・という、おもしろくない三連休になった。

 

 と云うことで、今日も論文の修正や追加、レポートの推敲やら確認作業・・・。今日もドライ・アイで目が痛い・・・。天気がいいのにね。

 

 で、今日は「歎異抄」のお勉強。『歎異抄』(たんにしょう)は、鎌倉時代後期に書かれた仏教書であって、作者は、親鸞聖人のお弟子である唯円坊とされている。その内容が親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった異義・異端を嘆いたものであるので、「歎異抄」という書名になっている。

 

 最近は解説書やコミックスも出ていてずいぶんと親しみやすくはなった。この本もまた、聖書同様に隠れたベストセラーになっているらしい。だから書店に行けばずらりと「歎異抄」関連の本が並んでいる。

 

 でも、なかなかに難しいお話だから、すんなりとは頭には入らない。だから、これを読んで感想を述べよと云われても、どこからどぅやって感想を引き出せばいいのかもわからない・・・。ま、優等生並の感想を書き並べるしかないのでは・・と。

 

 そそ、明日は早くも県立病院の予約診察日。明日も「血液検査」と、胸部レントゲンの一般撮影とドクターの診察。これで午前中はつぶれてしまう。明日のお昼はおうどんになりそう。

 

 で、一週間は何もない予定。お天気次第でどこかにお出かけしたいものである。

 

  今日の掲示板はこれ。「一生懸命 一度きりの人生だから その夢に懸けてみて・・・。幸せな運命がそこで待っているから。」と云うもの。幸人遊名オリジナルポストカードにある言葉で、作家が「一生懸命」を使って詩を創りあげたというもの。前半は納得できるのだが、後半はやや疑問。一生懸命に努力をしたからと云って、必ずしも幸せな結果が待っているとは限らない。ソチのオリンピックを思い出してみても、結果は幸せだったとは思えない。だからと云って、一生懸命に生きると云うことは大切なことだとは思っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

野に里に 黄色の春が 目を覚ます

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は5度から18度、湿度は71%から42%。風は2mから3mの南風が少し。明日の25日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前からは雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝の犬の散歩でもすっかりと春の光の中で気持ち良く歩くことができた。もう、すっかりと春になったなぁと思った。朝方は5度と少しばかり気温は低かったが、空気が暖かく感じたし、太陽の光が全く違ってきたなぁと実感した。

 

 で、今日は月に一度の予約診察日。ま、一応、薬を処方してもうために行くようなもので、どこがどうだから行くというようなものではない。本当はしばらく休んでもいいようなものだが、もし、何かあったときにドクターに叱られそうな気がするし・・・。

 

 今日は血液検査と胸部X線検査が予定されていた。先月に肺に水が貯まっている・・というので、今月も肺の検査だったが、どうもないと云うので一安心。最近、妙な咳やタンが出るもので、「肺結核かなぁ・・」と思っていたのだけれど。しかしのかかし、肺に水が貯まるって、それって大変なことだと思うのだけれど。

 

 でもまぁ、何度も経験してるのだけれど、レントゲン写真で肺の状態を見ると、肺の半分から下が白くなっていたりする。これが「水が貯まっている」というのらしい。これが肺全体に広がると「心不全」になって危なくなる。そういうのは何度か経験したが、でも、肺に異物が入ったりすると死亡するとよく聞く話なんだけれど・・・。食べ物が喉に詰まっただけでも大騒ぎになるのに・・・。

 

 ものはついでだからと、東かがわ市の白鳥(しろとり)という地区の「湊川(みなとがわ」という川の堤防に「河津桜」が80本近く植えてあるのを見てきた。これが満開状態を少し過ぎたところ。もう、先の方は緑の葉っぱが出始めている。それに花びらの先が弱ってきている。

 

 今日は十数人の人が携帯電話をかざしたり、カメラを向けたり、車の中でお食事をしている人たちもいたし・・・。あさってあたりの雨で散るのかも知れない・・・。

 

 さて、これからどこへ行こうか・・と考えながら走ったのだが、とりたてて行きたい所もないし、見たい場所もない。そこで目に着いたここに入った。さぬき市津田という町にある「道の駅・津田の松原」。その構内にある「松原うどん」というプチセルフのお店。

 

 で、ここのお勧めだという「肉うどん小」をお願いした。400円。ま、一般店のようにおいしくはないが、早くて安くてうまい・・・という、おうどんである。肉もたっぷりと入っていて、そう、硬くはない。

 

 その後、我が家の上流にある県営大川ダムに寄ってみた。ここには桜の木がたくさん植えてあって、昔は「花見の宴」で流行ったところ。一時はカラオケに発電機でバーベキューを食べながらということでにぎやかにやったものだが、最近はそういうものは姿を消した。

 

 ようやく先端が色づいてきて開花の準備が始まっている。この週末が楽しみだ。しかしのかかし、「サクラ」「さくら」と、桜の開花が話題になるけれど、「桃の花」とか「梅の花」などは少しも話題にならないし、「桃の開花宣言」なんてものは相手にもされないのはなんでだろ。サクラばかりがもてはやされて、花が散るだけでも話題になったりする。

 

 午後からは集落内の1時間コースの散歩をしながら地元の春を探してきた。さすがに今日は汗が流れた・・・。もう、初夏のような気温になった。

 

 田んぼの畦にはたんぽぽが花を咲かせているし、雑草も緑の葉っぱを出してきた。

 

 農家の畑ではキンセンカが花を咲かせている。自然たちはいつも真剣で真面目だ。時期がきたら律儀に花を咲かせ、実を付けて子孫を残して命をつないでゆく。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日というのは残りの人生の最初の日」というもの。英語では Today is the first day of the rest of your life. と云うらしい。映画「アメリカン・ビューティー」でも使われた言葉で、米国の薬物中毒患者救済機関の設立者、チャールズ・ディードリッヒの言葉である。

 人は常に死に向かって生きていて、人生の残りは減っていく一方で増えることは決してない。それでも、その残りいくばくか、自分自身には知る術のない残りの時間だったとしても、今日という日がそのスタートなのだ。どれくらい生きられるかわからないと嘆くよりも、今日からすべてが新しく始まるんだと思って生きて行く言葉だ。

 辛いことがあったとき、苦しいことがあったとき、もう、そこですべてが終わってしまったような気持ちで落ち込んでしまう人が多いのも事実。気持ちの切り替えなんてそう簡単にできるものではない。しかしのかかし、今日は昨日とは違う一日で、最初の一日であるということが頭にあるだけで、気持ちを明るく持っていられる気がするものだ。いつまでもくよくよしてはいられない。残りを精一杯、できれば楽しく過ごしたいと、この言葉は気付かせてくれるのではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

毎日が 生きる命の 野辺の花

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていて、夜遅くには雨が降る予報。気温は10度から20度、湿度は78%から46%。風は1mから2mの北北東の風。今日は暖房は全くいらなかった。明日の26日は、西日本を通過する前線の影響で夕方にかけて雨が降り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけては雷を伴う所がある見込みとか。

 

 我が家の庭のハクモクレンも一斉に花を開き始めた。いよいよ春本番みたいだけれど・・・。

 

 と云うことで、今日は少し足を伸ばしての散歩になった。同じ町内なんだけれど、北に向かって進んで町境の山に登ってきた。

 

 さぬき市大川町富田東という所に、真言宗の西教寺というお寺がある。そこまでがおよそ4キロ、その途中にこんなものがある。

 

 西教寺より下方左側には、西教寺六面石憧(せきどう)が有る。『県指定有形文化財:昭和51年6月29日指定・二基』で、石憧は笠(屋根)や憧身(屋根から下の部位)が六面或いは八面をした石造物で、供養や経塚の標識として造立されている。西教寺六面石憧は、南北朝時代の代表作で、凝灰岩が用いられている。石憧は東西に二基並んでいて、『讃岐名勝図絵』には、この付近に西教寺山門が有った事が記述されている。東塔=憧身は高さ約1.4m幅約42cm一面の幅は約28cmで正六角形で、一面に「永和2年3月24日(1376年)と刻まれている。

 

 近くの民家にはミモザの花が咲き誇っている。さすがに、このあたりまで来ると休みながらの散歩になる。

 

 こういう登山道をおっちらおっちらと登って行く。今日は暑いくらいになってきて汗が流れ始める。だから、木陰で一休み・二休みしながら登って行く。

 

 西教寺から800m位登った火山の中腹に「穴薬師」(梅が谷)がある。堂内には高さ約90cm薄肉彫りの磨崖仏厄除薬師如来像が岩崖内の壁面に刻まれている。薬師如来像の右側には、高さ約1mの十二神将一体が厚肉彫りで刻まれ、その他に浮き彫り線刻等の手法による小像や丸彫りの像が安置されている。

 

 堂外の岩壁には、頭部の長さ約70cm、胸部までを肉厚彫りにした半身の巨大な薬師如来像磨崖仏がある。『西教寺の磨崖仏 「彫刻」大川町指定文化財(現さぬき市)(昭和43年5月1日指定)』伝空海作。 更に、この像の上方約50mの所に、線刻の近い薄肉彫りによる高さ90cmとその両脇に高さ約50cmの不動明王の像がある

  

 さらに150mほど進むと、こんな水たまりがある。これを「鬢盥:びんたらい」と云う。その昔、土佐の長宗我部軍が雨滝城を攻めた時、戦い終わった兵士たちがここで髪を洗ったという伝説が残っている。山の頂上に、こんな水たまりがあるのも不思議なことだ。

 

 そこから降りてユーターン。今度はみろく自然公園に向かうのだが、その途中で昼食。

 

 今日はさぬき市大川町富田中にある「杉本うどん」に寄ってみた。おなじみのプチセルフのお店だ。

 

 で、今日は「かけうどん小180円+揚げ100円で280円。それだけ歩くと(約7Km)、さすがにおいしいと思った。ここからまた、3Kmほど歩いて我が家に戻った。少しは体重が減っただろうと思うのだけれど・・。

 

 今日の掲示板はこれ。。「生きることに満足せずして何に満足するのか」というもの。人間の根本的なことは「生きる」ということ。それには「食べる」ということが必要になり、「生き抜く」という力が求められ、そこから更に「学習」だの「経済」だの「文化」だの」「宗教」だのが求められる。この地上にあるすべての生き物は、「生きる」と言うことに「満足しなくては」次のステップが踏み出せない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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