さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がり、夕方まで雨が降る所がある見込みらしい。気温は24度から28度、降雨量は1mm/hから3mm/hと少なめ。風は1mから3mの南南東の風が少しばかり。明日の24日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。
台風12号の動きが心配なのだけれど、「台風なんかメじゃないよ。」とか「反れてる反れてる」とかと言うのだけれど、天気予報ではこんなだけれど、さぬき市の今週・来週は見事な晴れの連続になっている。台風12号はどうなるのじゃろうか。してまた、私はどうすればいいのじゃろうか。
さて、恒例の香川県立図書館。車から降りたとたんに、ものすごいクマゼミの「シャンシャンシャン」という鳴き声シャワーが襲いかかってきた。まさにのしかかるようなセミノ声・・・。子供らが蝉を追いかけて走り回っている。
ここのアキニレの木には、このようなセミの抜け殻がいっぱいだし、足下の地面には蝉が這い出てきた穴ぼこがいっぱい・・・。ここの蝉は年々、多くなる一方だと思う。
この子、死んだクマゼミを撫でたりさすったりして生き返らそうとしているが、死んだものは生き返らない。生きたセミが欲しいんだろうね。この子の虫かごの中は、セミノ抜け殻ばかりが十数匹。声を掛けていいものかどうかしばらく悩んだ。ヘタに声を掛けて「不審者」扱いされても迷惑だし・・・。生きた蝉なんぞ、いくらもいくらも頭の上を飛び回っているのに、捕まえられないんだろうか・・・。
さすがに、夏休みに入った図書館には子供の姿や親子連れ、家族連れが多い。
さて、私の所属している「おへんろつかさの会」の今年のお勉強は、「小豆島八十八ヶ所霊場巡り」なんだそうである。小豆島霊場は、大型バスの入らない路地の奥や民家の中や、細い谷道や石段をくねくねと登った先にあることが多い。だから、徒歩が主流になるらしい。その下見に、会長ほかが土曜日に行くそうだが天候がどんなだろうか。
私は心臓が悪いので、今年の小豆島研修はやめにした。秋の資料展くらいはのぞきに行ってもいいかなぁとは思っている。ま、それに合わせて、小豆島ミニ島四国を別の視点から考えてみようかと、これらの本を借りてきた。若い頃に、小豆島で三ヶ月ほど工事で暮らしたことがあるので、地理的なことは分かっているし、札所がどこにあるかも覚えているし・・・。
こういう地図を懐かしく眺めてみたことだった。
それはそうと、今日、丸亀市広島支所から連絡があって、「8月1日に使用するプロジェクターと、私のパソコンとの接続実験をやっておきたい・・」という話しだった。昨年に何度もやっているのだけれど、今度の支所長さんは初めてなので不安なんだそうだ。お役人というのは慎重なんだか心配性なんだか・・。でも、そんなに心配ならば・・・ということで、明日から島に行って来る。
「配布資料があれば印刷しておきますので・・・」とも言ってくださるのだが、中学生相手に、どんな資料を作ればいいものかと・・・思案投げ首。そんな心配よりも、夜の打ち上げ会とか反省会とか懇談会とかの心配でもしていただいたほうがうれしいのだけれど、お仕事が終われば早々にフェリーに乗ってお帰りになってしまうに違いない。
と、なんだかんだと言いながら、7月31日のモーニング・セミナーも、あと、一週間、そして、8月1日の中学生歴史講座も迫ってきた。概ね、準備はできてはいるのだけれど・・・。それまでの体調維持とかがやや心配。肩こりと歯痛が少しばかり気に掛かる・・・。今朝など、気が付けば7時前。モーニング・セミナーなど終わっている時間だ。
そうそう、今日は大暑(たいしょ)。大暑は、二十四節気の第12。六月中(通常旧暦6月内)。 ... の節気の立秋前日までである。 小暑と大暑の一か月間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送るらしい。わが家にも十数通の暑中見舞いのお葉書をいただいているが、お返しの出来ぬ間に大暑が来てしまった。
で、暑中見舞いはいつ出すのか・・と調べてみたら、「梅雨明け後、夏の土用の期間(立秋前の18または19日間)に届けます」とあったが、四国はまだ、梅雨明けをしとらん・・・。立秋(8/8)の19日前というと、過ぎてしもうとる・・・。今年は暑中見舞いが出せないないではないか。ということで、更に調べてみた。
夏の土用(立秋前、約18日)~立秋の前日(8月7日)
夏の土用、立秋などは年によって違いますが、
2015年は7月20日~8月7日です。
小暑(7月7日)~立秋の前日(8月7日)
梅雨明け~立秋の前日(8月7日)
以上3つが一般的に定められています・・・ということで、8月7日までがOKだということらしい。
今日の掲示板はこれ。「くらやみの中で 宝があっても つまずくだけだ」というもの。前川五郎松という人の、阿呆堕落偈(あほだらけ) から。闇と光について、いつかこんな言葉をお師匠様から聞いたことがある。「暗闇の中で宝があっても、つまづくだけや」と。燈明(あかり)をつけてもらうだけや、何にも変らぬ、見える見える、見えると安心や。と。暗闇の中では、宝物もご馳走も有り難い仏様も見えぬ。仏法を知らぬ者には経典も仏像も何も見えぬ。光という智恵を頂いてこそ、宝物やご馳走が見えるというものである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。