丸亀地方は高気圧に覆われて、概ね晴れている。気温は23度から32度、湿度は84%から55%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。四国地方は午前10時に梅雨明けした模様だと報じていたが、さっぱりとしたいい天気になったなぁと実感した。暑いことは暑いのだが、汗が噴き出さない気持ち良さがあった。明日の25日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。
台風12号が連続してやって来るというので、食材とかを冷蔵庫に残したまんまになっていたし、8月1日の中学生相手の歴史講座に使う手元資料の打ち合わせも兼ねて、またしても、丸亀港にやってきた。今日は9時25分発のフェリーボート・しわく丸に乗る予定。
余裕を持って、朝の7時前にわが家を出たのに、丸亀港に着いたのは9時前だった。実に2時間も掛かってしまった。やはり、朝の通勤時間帯は、どうしても渋滞になるし、混雑もする。土日の1時間半コースばかりではないのであるなぁと、慌てたことだった。
島の家は前回に草刈りをしなかったので、そのまんまの草だらけだが、草刈りが必要な長さでもない。ここが思案のしどころだ。明日の朝にでも、草刈りをするべきか、次回の8月2日でも我慢ができるのか・・・。
今回に草を刈っても、来月中旬の月遅れのお盆や、その後の京都からのお客さんが来る頃にはどうなっているのか・・・。草刈りばかりが気になる島の家である。
島の家に着いたのは10時20分。雨戸を開けて換気をしたり、室内の空気を入れ換えたりする。今回は食材は何も持ってきていない。冷蔵庫に残っているもので数日を過ごすことになる。卵と漬け物と米があれば、なんとかなるだろう・・・という大胆さである。島の生活は、そんなサバイバルも楽しい。
この、「塩飽幕末年表」を、今回のお世話役のみちこ先生に届けたら、「中学生には難し過ぎる・・・」と、全面改定を言い渡された。校正原稿は、明日、届けられるそうだ。教育という世界は、私には計り知れないものがあるのだなぁと感じたことだった。
それでいて、来週に迫った中学生歴史講座の根底を流れる教育理念・・・というのは一本、筋の通ったもの。過疎の島の児童を活性化させるために、どういう表現方法があるのか・・。どうすれば、過疎の島の子供たちが明るい表情になれるのか・・・。そういうことに情熱を燃やした先生と、少しばかり発達の遅れた子供たちが島にやって来る。その子供たちに、このしわく広島の良さを理解してもらうのだという。
島をぐるりと一周してきたが、人影は見えない。ま、この暑いさなかに歩き回る必要も無いが、島に帰るたんびに人が少なくなるような印象を受ける。こうした、石切り場や採石場、石切り丁場からも音は聞こえない。
この島は「引き算の島」だという。子供の数、男性の数、女性の数、世帯数・・・。それら全てが「引き算」なのである。決して足し算にはならない島の現実。それでは、お墓の数が足し算になるかと言えば、それがそうでもない。個人のお墓がまとめられて家のお墓に合葬される。便利な町の墓地に移転される。お墓ですら「引き算」になる。
今日の掲示板はこれ。「ひと夏のいのちかぎりとセミが啼く」というもの。八月は「死」が身近な季節である。原爆記念日や終戦記念日、月遅れのお盆が八月であるからという以上の、死を身近に感じる季節である。この、生命の峻烈ともいえる季節に、ひときわ蝉たちは声高に啼き尽くし、叫び続けて死んでゆく。仲間たちはまだ梢にあるというのに、あるものは地面に落ち、狂ったようにもだえたかと思うとまた飛び立ち、再び地面に落下して死んでゆく。生命の烈しい燃焼と死の充実。あるいは生と死の落差にあらためて驚くということ。
それを短い期間で気づかせてくれるということ。われわれが耳にする死の情報は抽象的なもの、頭の中だけの理解であることがしばしばである。けれども、蝉たちは身をもって教え示してくれている。これが現実であると・・・。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。