さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は20度から28度、湿度は92%から56%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり吹いていた。明日の28日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
さて、昨日はわが家に戻って来るまではなんともなかったし、ブログもFBも普通に更新したのに、夕食を食べたとたんに気分が悪くなって、18時前から寝てしまっていた。食事もほとんど口にできなかった。
疲れなのか、食あたりなのか風邪なのか・・・、二階の寝室で寝てみたり、涼しい書斎に布団を運んで寝てみたりして、目が覚めて起きたのは、朝の6時半だった・・・。実に十二時間も寝たせいか、首筋から背中から腰からが痛かった。奥方は気味悪がって一階のリビングで寝たらしい。
これが、昨日食べた「花オクラなのよ」と、奥方は言うが、これが原因ではないのだろうか。とにかく、眠たくて眠たくて・・・・。ちなみに、花オクラと実オクラとは種類が違うし、茎も葉っぱもビミョウに違うし、この花の大きさは異様に大きい。これにベーコンとかハムとかを巻いて食べる。
さて、昨日が西ならば今日は東だ・・・ということで、九月の「町あるき」の最終確認。リハーサルが9月の5日の土曜日だったはず。今回は津田の松原と大川町の「軒原庄蔵」である。
この津田の松原には、多くの文人墨客らが訪れたし、映画俳優の嵐寛寿郎・浅丘ルリ子なんかも撮影のためにやってきている。そんな一角に、この「平山郁夫画伯写生の位置」という場所がある。このあたりを町あるきするのだそうだ。
風景的にはこんな感じ。「白砂青松」というのは昔の話し。それでも、ここはよく松を生かせて有ると思う。多くの山やお庭では松枯れで松の木なんぞ見なくなってしまったのだけれど。
ところが、もう一本の「棟方志功の松」というのが見つからない。高校生の頃には、この松原はお庭みたいな感覚で走り回っていたのだが、記憶の森は遠くに霞んでしまっている。
道の駅まで戻って来て、ここの職員さんに聞いてみたが、「近くにいながら、松林は歩いたことがありませんの・・」と仰る。それじゃ、ダメじゃん、春風亭昇太。ここは観光案内所も兼ねているんでしょ。
園内を散歩しているおじさんに訪ねたら、「洗心亭の裏側や」というので早速に向かってみると、「洗心亭」という料亭の西浦手に確かにあった。
「おお、兄弟、ここにおったか!」。
この頃になると、気温はぐんぐんと上がってきて暑くなってきた。ここの海水浴場の露店や桟敷席なども解体・撤収工事が行われていた。
町内の「軒原庄蔵」についてはさらりと流して歩いてみた。これが、その「銅像」である。
江戸時代末期ごろの掘削工事風景。こうして山にトンネルを掘って、農業用用水を通したというお話である。
こちらが、そのトンネルの出口部分である。トンネルはこの下側にある。
ここへ、わが家のすぐ脇を流れる水が、ここにまで注ぎ込まれて、この町の水田を潤しているのである。
これが、わが家の横の水路であるが、今年は一度も、この水路に水が流されることはなかった。それだけ、雨が多かったということである。
今日の掲示板はこれ。「人は一人では人になれない 支えてくれる者があってこそ 初めて人であることを知るべきだ」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。子供の頃には、こんなことをよく聞かされたように思う。「人」という字は人が支え合う様子を表しているのだとかと。今でも、人は一人では生きていけない」と思うのだけれど、「おひとりさま」とか「ひとり旅」とか「都会の中の一人」とかと、ずいぶんと「一人で生きている」人が多くなった。都会のマンションの一人暮らし、避難先の仮設住宅での一人暮らし。でも、一人で生きると言うことと、「ヒトして生きる」ということは違うのだということをこの言葉は教えてくれている。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。