さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は20度から28度、湿度は92%から59%、風は1mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の5日は、午前中は晴れるけれど気圧の谷や湿った空気の影響で次第に雲が広がり、夕方から夜のはじめ頃は雨が降る見込みらしい。
今日は久々に晴れていい季候になったので、東かがわ市白鳥田中にある「千光寺」を訪ねてみた。ここは惠日山舎那院千光寺と号する真言宗御室派の寺院である。高校生の頃、ここの経営する「惠愛学園」に勤めている人と知り合いになって、よく遊びに寄せてもらったことがある。ここは、児童養護施設である。
だから・・・、もう、50年ぶりにもなるだろうか。ここには、このような池があって、周囲は全山が墓地になっている。その中心に、大日堂という本堂がある。
この本堂のすぐ横に、「手袋の始祖」とも仰がれている「両児舜礼」という人のお墓がある。元はこの地の塩田で働く農家の息子が岡山の両児山金剛寺に入って修行する。ここで、「舜礼」という名を頂戴して「両児舜礼(ふたご・しゅんれい)」という名になった。本名は、「棚次米吉」であった。31歳の時、この千光寺の副住職として戻ったが、土地のタケノという女性と駆け落ちし、大阪で苦労した。その時、メリヤスと手袋を知り、手袋の基礎を築いたが38歳で病死した。その手袋の芽は、タケノ未亡人といとこの棚次辰吉によって大きく成長し、東かがわ市の基幹産業にまで発展した。
こちらが、「手袋神社」と言われる場所だが、建物も社もない。この石柱が「両児舜礼」の碑であり、銅像が「棚次辰吉」である。
この舜礼は還俗して、「香山舜造」と改名して、托鉢行をやめ、メリヤス手袋の製造に傾注した。38歳の1月、父の死を知った舜造は古里に戻り仏事をこなした。この時に、いとこの棚次辰吉ほか4名を連れて大阪に戻ったが、間もなく舜造は病死してしまう・・・。
その跡を引き継いだのが、この「棚次辰吉」であったというわけ。
近くには、「日本一低い山」と言われる「雄山」がある。
ここが山頂で、境内にある標高3.6mの山頂である。白鳥神社では『日本一低い山』とうたっているが、国土地理院に日本一低い山と認められる為に、国土地理院発行2万5千分の1の地形図に掲載される事を目標としている。また白鳥神社で登山証明書を発行している。
その近くで、奇妙な松を見かけた。どうにも枝の形がおかしいし、葉っぱの出方も妙である。台風かなんぞで、枝がねじれてしまったみたいである。
で、この辰吉の開発した「簡便飾縫機」を探してみたが、どこともが「貴重品」だとして隠してしまってあるらしく、一般の目には触れられないようである。やがて、いつの日にか、この特殊ミシンが展示公開されるのを見てみたいものである。
これは一般に公開されている手縫いミシンであるが、これを参考にして、観音さんから夢告された「歯車」を採用したのが、辰吉の特許らしい。
奥方のけいこばぁが、「東に行くなら、このボールペンの芯を交換してきてよ・・」というので、この文具店に寄ってきた。書けなくなったボールペンを持ち込めば、有料だが替え芯を交換してくれるなんて初めて知った。料金は品物によるが、60円から90円くらいらしい。新品を買っても90円から150円くらいなものだと思うのだけれど・・・。
今日の掲示板はこれ。「自分には人間だものと言い、他人には人間のくせにと言う」というもので、いつもの赤松先生のお寺にあったもの。言い訳をするときに、自分には、「人間だもの」と言い、他人を責める時には、「人間のくせに」と言う。車いすの人を「障がい者」と言い、メガネをかけた人は、「健常者」と言う。足と目の違いだけなのに。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。