さぬき市国地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、昼過ぎからは気圧の谷の影響で雲が広がり、雨の降る所がある見込みらしい。気温は22度から28度、湿度は90%から65%、風は1mから2mの北北西から南南西の風が少しばかり。明日の6日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、雨が降りやすい天候になるらしい。
さて、昨日が東ならば今日は西・・・という訳でもないが、今日は高松市塩江町安原下にある萩寺こと、「最明寺(さいみょうじ)」さんに行ってきた。最明寺は、四国を代表するハギの名所である。境内には現在、宮城野萩、紅萩、姫萩、駒止萩、通天萩など10数種類、約200株のハギがある。このハギは、先々代の住職さんが株分けをし、移植をして基礎をつくり、その意志を継いだ先代の住職さんが、なお一層の増殖と庭園の整備を行ったものである。ハギの花に埋もれた境内は、文字通り、「萩だらけ」なのである。
ただ、まだ、時期が早いのか、境内の萩はほとんど花をつけていない。明日の九日が「流れ灌頂の供養日」だというので、駐車場や境内はきれいに整備されていた。701年、行基菩薩が薬師如来像を彫り、本尊として安置した。古くは如意輪寺、のちに北条時頼が再興し,最明寺と改名した。萩の名所として有名である。
参道筋にある萩は、雨で傷んだものかよれよれになっているものが多かった。境内の萩が咲きそろうのは、もう少し先になるのかも知れない。
そのお寺のすぐ前を通っている道が、「ガソリン道」と言われる、旧塩江温泉鉄道」の線路が走っていた道である。
だから、このような遺跡が残されている。これは、「中村駅」という駅のプラットホーム跡」である。今は、個人に払い下げられて墓地になっている。
また、旧町道部分には、このようなトンネルの跡もそのまま残されて通行できるようになっている。塩江線(しおのえせん)は、かつて香川郡香川町仏生山町(現・高松市仏生山)の仏生山駅と香川郡塩江村(現・高松市塩江地区)の塩江駅を結んでいた琴平電鉄(ことひらでんてつ、現・高松琴平電気鉄道の鉄道路線で、日本内地における、史上唯一の非電化標準軌鉄道線であった。1929年(昭和4年)に琴平電鉄の子会社である塩江温泉鉄道(しおのえおんせんてつどう)の路線として開業したが、経営難により、のち親会社の琴平電鉄に吸収合併されて同社の塩江線となった。1941年(昭和16年)に戦争激化の煽りを受けて廃止となった。
路線は「高松の奥座敷」と呼ばれる塩江温泉に至る国道・県道を沿うように敷設されており、廃止後60年以上を経てなお一部に廃線遺構が残る。また、廃線跡のうち仏生山駅から高松市香川町浅野にかけては道路となっているが、本路線がガソリンカーでの運行であったことから、この道路には「ガソリン道」という通称がある。さらにその先の同市香川町川東下から同市塩江町安原下にかけての廃線跡は塩江香川高松自転車線(香東川自転車道)となっている。
これも、今も残る「安原トンネル」だが、ここは道路ではなく、農家の物置になってしまっている。
その途中にあるのが、「山田蔵人高清」の墓である。五色台・青峰山(高松市中山町)の "牛鬼退治" で知られる、弓の名人「山田蔵人高清」(やまだ くらんど たかきよ)のお墓である。江戸時代の少し前の頃、この地には牛鬼がいて人や家畜に危害を加えていた。そこで弓の名手であった山田蔵人高清に退治を依頼した。高清は3本の弓で見事に牛鬼を退治した。高清は退治した牛鬼の角を切り取り、根香寺に奉納し菩提を弔ったと伝えられている。現在、根香寺にはその牛鬼の角と呼ばれるものと、牛鬼の姿が描かれた掛け軸が伝わっている。
これが、青峰山根香(ねごろ)寺の山門脇に建てられている「牛鬼像」である。
墓碑には、「円密院弓清居士」と刻まれ、文禄三年(1594)2月2日の字が見える。
目のよく見える方は、この看板をご覧になるといい。こういうお墓があると、あのような「牛鬼」がいたのかと・・・本当のように思えてくるのだけれど・・・。
昨日のNHK-TVでは、これを「ヒガンバナ」だと放送していたけれど、これは、このあたりでは「鍾馗水仙(しょうき・ずいせん)というし、単に、「リコリス」と言ったりする。これはどうしても「ヒガンバナ」には見えないのだけれど。
これだって、同じように「リコリス」と言うものなんだと思うのだけれど。
今日の掲示板はこれ。「涼しさや 弥陀成仏のこのかたは」という、小林一茶さんの言葉から。この句の「涼しさ」は残暑に、ふとそよぐ風の涼しさをあらわすものであるという。省みればあれほどの猛暑もいつしか遠ざかり、「急に冷え込みましたなぁ」 と挨拶を交わす時期になった。「秋はどこにいったのか」と環境の変化を嘆く。阿弥陀さまはそんな私たちのありさまを救おうと、五劫という永い間、ひたすら 思惟くださり、成仏されたという。人間の思考や歩みをはるかに越えた、悠久の過去から、そしてまだ見ぬ未来へ向けて大きな願い(本願)をかけてくださって いるという。そんなご恩を、ふと流れてくる涼しさの中に感じたいものである。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。