さぬき市地方は低気圧や前線の影響で雲が広がり、太平洋側を中心に雨が降っていた。気温は21度から28度、湿度は96%から76%、風は2mから6mの南東の風が少しばかり。明日の7日は、低気圧や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方を中心に雨が降りやすい見込みらしい。
今日は集落内の「山の神さん」の例祭日だから、朝の7時から掃除に出なければならない。ところが、この集落は、なぜか、30分前に集まる風習がある。それはそれで素晴らしいことかも知れないが、それならば、30分前を集合時間にすればいいと思うが、そうすれば、さらに30分前に集まることになる。それを考えていると、朝の5時に起きてしまった。二度寝をしたら間に合わなくなるので、結局は5時起きの6時にごんの散歩、6時半に山の神さんに出かけて行った。
竹木が倒壊しているのを片付けて、落ち葉を掃除して、しめ縄を飾って、御幣も飾って、のぼりを建てて・・・。7時半過ぎごろ、そこへ朝からものすごい雨が・・。みんなは一目散に逃げ帰ってしまった。ま、準備ができたところだったので、ちょうど、良かったということで・・・。
朝食を食べ終わるとすぐに、四国霊場87番札所の「長尾寺」に向かった。今日は、「おへんろつかさ養成講座」の二回目講座の「長尾寺実地研修」の日であった。私は広報担当の取材と、駐車場案内係。いわゆる「スタッフ」出仕である。
「おへんろつかさ養成講座」も、今年で9回目の「九期生」である。今年は、募集期間が大幅に短くなったが、それでも、30名の応募があったらしい。こうしてみるとご婦人が多いように思う。
9時から講義が始まって、まずは、境内全般の案内から・・・。山門前の「経筒」から、山門、大師堂、本堂、静御前の「剃髪塚」あたりまで。
9時半からは、書院に集まっての座学の講義。1コマ目は、片桐孝浩先生から「さぬき市内の石造物」についての講義があった。道標や標柱、遍路墓、丁石などの、遍路道沿いにある石造物に関する知識とその調査結果報告など・・・。
丁石(ちょうせき)というのは、「大窪寺まであと39丁」とかと、距離を示す石の地蔵さんであるが、これが一丁(ここでは109m)ごとに建てられている。その建設順番とかの話しに重点が置かれた。というのも、三叉路とか四又路とか村境にまず丁石が建てられ、その後、その間を埋めるように建てられたとか・・・。
単なる道ばたの石ころのようなものでも、目の付けようによっては、これが貴重な財産になり、遺産になり、歴史資料になるということである。
続いては、長尾寺木村俊雅住職の講話があった。今回のテーマは「お接待」であった。最近は歩き遍路が減少し、マイカー遍路やバス遍路が主流になって、昔からの「お接待」が減ってしまった。お接待をする機会が減ったのである。そういう中で、どういうお接待をすればいいのか、どういうお接待が喜ばれるのか・・みたいなお話だった。
その後は、本堂、大師堂内へ移動して、そこでお寺の縁起や仏教の歴史、仏教がたどった道などの講義があった。大師堂では、静御前にまつわるお話なんぞを伺った・・・。
夕方の15時からは、「山の神さん」のおまつり。毎年、1月と9月のこの頃におまつりになるが、御神酒さんを頂いて、菓子パン二個とペットボトルのお茶で座談会をしておしまい。それも、最近は30分程度になった。話題はサルやイノシシの話しばかりになる。
これまた、娯楽のなかった時代の名残で、今は集まっても共通の話題がないのがさみしくなった。で、今週は「山の神さん」で、来週は「土地の神さん」で、「地神さん」のおまつりになる。収穫の秋が終われば、山の神さんも、土地の神さんもお役目ご苦労さま・・ということで感謝を申し上げて天上界へお帰り願う儀式なんだろうと思うのだが、今は誰もそんなことにも頓着しない。昔からやっているからやっているだけに過ぎない・・・。
ま、過疎化が進む山あいの集落だから、「安否確認」の意味合いがあるのかなぁと思いながら、私は一言の会話もせずに戻って来てしまった。なにせ、男性は二人だけだで、後の七人は女性ばかりだったので、女性の会話には加われない。その男性二人も共通の話題がないもので黙っているばかりだった・・・。
今日の掲示板は意味もなくこれ。「君は自分の目で確かめたか。自分の足で歩いたか。自分の手で触ってみたか」という、松下幸之助さんの言葉から。私が講演をするなり、本を書くなりする上で、この三要素は欠かせない。法然上人の足跡でも、讃岐の二十四輩研究でも、今の「讃岐の和三盆糖」研究や「讃岐の手袋産業」研究でもそうだけれど、本に書かれていることを、自分の目で確かめ、自分の足で歩いて確かめ、自分の手で触ってみないと納得したものは生まれない。会社時代にやかましく言われた「現地に行こう」「現物に触ろう」は、いまだに身体にしみついていて離れない。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。