さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で東部を中心に雨や雷雨となっていた。気温は20度から24度、湿度は92%から81%、降雨量は0mm/hから1mm/h程度のこぬか雨程度。風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の8日は、引き続き、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜遅くには雨が降る見込みらしい。
朝から雨になっているし、月曜日だから、図書館や資料館・博物館は全体的にお休み。そうなると、自宅待機でお勉強しかない。この週末には法話会もあるし、準講演会もあるしであれこれとお勉強もしたいのだけれど、オツムのほうが動かない。
わが家の周囲も草だらけだし、庭木も伸び放題だから、草刈りやら剪定やらもやらないといけないのだが、雨ではやる気が失せてしまう・・・。
さて、首相官邸のドローン騒ぎから、とうとう飛行禁止の法律まで施行されるようになって、このメーカーも慌てだしてきて、一ヶ月に一回の配本だったドローン講座が、なんと、5ヶ月分を一月に送りつけてくるようになった。だから、奥方が悲鳴をあげている。一ヶ月分の筈が5ヶ月分も請求が来るのだから・・・。
だから、5ヶ月分を一回で作業しようとなると、これまた大変。取り付ける方向を誤ったり、それを修正しようとして、部品をどこかに飛ばしてしまったり・・・。
老眼鏡を掛けたり外したり、ルーペを置いたり外したり、どうにかこうにか、取り付け完了・・・。
で、「23号で提供した部品を・・・」と言われても、どれが22号やら23号やら、こんなちいさな部品には番号も記号もついていない。周囲の状況と勘とで作業するしかない。
どうにか、ワッシャーが組み込めたみたい。これがエンジンである。このモーターが回転軸を回してプロペラが回転する筈なんだが、果たしてうまく回るものかしらん・・・。
だんだんと、それらしくはなっては来るのだけれど。
ということで、8月分の5ヶ月分は組み立てが終わったが、最終の57号が届くのは来年の4月だというのだから、まだまだ気の遠い話だ。
プロポはとっくに到着しているが、これがお役に立つのは来年の5月・・・。
雨は降ったり止んだりを繰り返しているが、小学校の授業のように、図画工作の時間ばかりでは飽きてしまう。ドローンの小さな部品ばかりを見ていると目がおかしくなる。そこで散歩をしてみたくなったり、運動会のように走り出してみたり・・・。
近くの水田の中で暴れ回っていた野猿の一団が、今度は栗の木を見つけたみたい。このあたりのサルは、この実があおいうちに食べてしまう。もう少し待って、栗がはぜて落ちてから食べればおいしいと思うのだが、人間様の感覚とは違うようで、実が若いうちに食べてしまうのが不思議である。
今日の掲示板はこれ。昨夜の「花燃ゆ」の最後に出てきた言葉である。「おもしろき こともなき世を おもしろく」という高杉晋作の辞世の句である。私達の感じている周囲の世界はただの現象世界であり、そこにはどんな意味や価値判断、意図もない。あるのはただの無為自然でしかない。それにひとつひとつ意味付けをしていくのは、私達一人一人の感覚であり、解釈である。高杉晋作はそういうことを詠んでいるのだと私は思う。だから、自分のしていることもしてきたことも、世の中が変わろうとしていることも全て、所詮はその程度のものなのだ、と達観したのではないだろうか。
例えば、出かけようとした時に雨が降ったからと言って、それで私達は不幸になるわけではないし、幸福になるわけでもない。雨は何も考えてもいないで、ただ降っているだけである。それをどう受け止めるかは私達次第。自分だけに降っているように感じて、こんな時に限って・・と、不運な自分を惨めに思うか、何気に今日は家でのんびりせよ、という天の思し召しだなあ~と思って、のんびりするものか・・・。自分の人生を後世の人がどう語ろうと、それは私の心の、私だけがわかっている私の人生ではない・・。そんな意味が込められているのかなぁと思ったことだった。ちなみに、「すみなすものは心なりけり」という下の句は、看病していた野村望東尼がつけたものと言われている。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。