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Channel: まほろば自然博物館
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曼珠沙華 寝ぼけ眼を 覚まされる

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 さぬき市地方は、朝方は寒気の影響で雨の残っているところがあったが、次第に高気圧に覆われて晴れていた。気温は19度から27度、湿度は83%から61%、風は2mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の14日は高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は集落の「地神さん」の例祭日である。この朝の掃除は午前7時集合となっているのだが、6時25分には、早くもこんなに集まってお掃除をしている。ここのお年寄りはいつも早いのだ。

 

 で、集合時間の7時前にはお掃除が終わってしまった。この左手に水田があって、稲が植えられているのだが、それをサルの軍団が食べ散らかして、このあたりは野猿の糞尿で一杯だった。それに食べ散らかした稲穂とかも・・・。それをさっぱりと片付けてしまって一段落したところ。

 

 私のお仕事は、この石柱を取り巻く「しめ縄」と、正面の「御幣」である。

 

 この五角形の石柱には、上のような神さまの名前が刻んである。その名前と同じのぼりが五本、建てられている。

 

 で、集合時間の7時には、その場を解散してしまって、みんなは自宅に戻ることになる。おまつりは、午後三時からなんだが、これまた、どういう訳か、2時半には全員が集合している筈。ここで、集合を2時半と決めたら、今度は全員が2時に集合することになる。時間的には良いことだとは思うが・・・なんだか、おかしくないはないのか・・・。

 

 で、午前中は「10年メモ」というミニ自分史の更新作業。今日は、2011年12月31日から7月1日までの184日間の出来事を整理していた。半年間のミニ自分史だが、この入力をするのに午前中を費やしてしまった。5年前のことなんぞ、記憶に残っているはずがない。それをブログを読み返しながら記憶の糸をほぐすのだ。

 

 先日に注文したamazonからの荷物が届いていたのだが、なかなかにじっくりと読む間もなかった本・・・。

 

 「あ、そうだ・・・」と、思い出して、午後からはここに行って来た。

 

 しばらく行っていなかった「小砂(こざれ)説教所跡」。長雨の被害もなかったみたい。

 

 「釋正真さん」のお墓も健在。なんまんだんぶのお念仏。ま、庄松さんは、ここに眠ってなんぞいないのだけれど。

 

 「おお、先輩、元気にしておったですか・・・」。少しばかりのご無沙汰ですかな。

 

 少し見ない間にすっかりと曼珠沙華が伸びている。お彼岸が近づくと律儀に芽を出すのだから偉いものだ。自然という者は実直だ。

 

 本当は15時からの例祭と「直会(なおらい)」は、全員が揃った14時半過ぎから始まった。全員と言うても、わずか10軒の小さな集落。これでオールスターということになる。で、15時半過ぎにはお開きになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「おこないはおれのもの、批判は他人のもの、おれの知ったことじゃない。」という「勝海舟」先生の言葉から。これは維新後、新政府の要職についた勝や榎本を福澤諭吉が「痩(やせ)我慢の説」という著書で批判をして、二人にその著書を送りつけた。その時に、勝が福澤諭吉への手紙で述べた言葉である。原文は、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」(世に出るも出ないも自分がすること、それを誉める貶すは他人がすること、自分はあずかり知らぬことと考えています)ということ。江戸開城を止めるために、上野のお山で彰義隊は命を捨てて戦っている最中、福澤は御殿山からその戦いを自分の弟子と一緒に傍観していたらしい。勝にすれば、「お前も曲がりなりにも武士だろう。命を懸けるほどの仕事をしてみい。学者気取りで偉いもんじゃなあ」というのが勝さんの本音だったものと思われる。批判をする方は簡単である。勝手なことを言っていればいいのだから。でも、批判されるほうは堪ったものではない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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