さぬき市地方は四国の南海上の前線や湿った空気の影響で、東部を中心に雨が降っていた。気温は19度から20度どまりで湿度は94%から85%。風は1mから3mの北北西の風が少しばかり。降雨量は0mm/hから6mm/hと断続的に降り続いていたが、豪雨には至らなかった。明日の18日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、未明は雨の降る所がある見込みらしい。
連日の雨で、水かさは少しばかり増えているが、そんなにたいした量ではない。上流の大川ダムも、水田用の水がいらなくなったせいか、適宜、放流して大幅に貯水量を落としている。
お仕事に行ってる時には雨だろうが雪だろうが平気だったし、それがお仕事だったから半ば義務的にお仕事に向かったものだったが、最近は雨の日は外に出ようとは思わない。雨の日に行きたい場所もないし、出かけてもいい写真が撮れる訳でもないし・・・。
で、今日もまた、10年メモ帳の追加入力。今日は2011年の6月30日から1月1日までの181日間の日記である。この期間には、あの、東日本大震災があった年で、生々しい様子が思い出されてきたものだった。
過去のブログを逆に辿りながら、1日1日の記録を記入する作業も根気がいる作業である。半ば飽きてきたのだが、どうにか2011年分は完成した。この続きの2010年分は冬場になっておこたにでも入っての作業にしたいものだ。
雨は降ったり止んだりを繰り返している。私も出かけようかやめようかを繰り返していた。
お昼前になると、さすがに「窮屈さ」を感じ出す。どうにもじっとしていられない性分らしい。このあたりでは「イラチ」というのだが、気が短くて、すぐに「いらいら・・」としてしまう。
先日から、この来年用の「ダイアリー」を探しているのだが、まだ、時期的に早いのか、どこにも置いていなかったし、来年用のカレンダーもまだない。
毎年、10月の15日あたりに購入している筈なのに・・・と古い日記を読み返したら、まさに、10月15日あたりであって、決して9月の15日ではないことがわかった。今年は少しばかり慌て過ぎたみたいだ。来年は期待するほどにいい年になるんだろうか。
ということなんだが、探せばあるもので、早くも来年用のダイアリーを探して購入してきた。ついでに、平成28年用の暦(こよみ)も・・・。
この暦は、旧暦を調べたり、海の潮を調べたりするためであるし、私のホームページの「行事予定表」を作成するためのものである。これを見れば満月だとか新月だとか上弦・下弦などもすぐに分かるからである。それに一般的な行事予定表も記載されているので便利なのである。
だからと言って、カレンダーはまだ9月の中旬。来年のダイアリーを買ったからと言って、そこに書き込む予定表なんぞある筈がない。来月の予定表さえ真っ白なのに。それでも、来年の予定が書き込めるというのは、なんだか安心なものなんである。
さて、昨日の水路の草刈りだが、奥方に褒めてもらえると思ったら、大層、叱られた。「せっかくお花が着いているのに、どうして終わるまで待てなかったの・・・」「お花が終わるまで待ってからでも草刈りは遅くないでしょ・・・」と仰るのだ。奥方が植えたお花でもあるまいし、きれいなお花でもあるまいし・・・。
今日の掲示板はこれ。「一人ひとりに、それぞれ歩んできた掛け替えのない人生がある」という、内藤久さんのことばから。
娘さんは、「土足で上がって構いません。全部ゴミですから、早く済まして」と、いかにも面倒といった具合で、私は殺伐とした雰囲気の中、作業を始めることになったのでした。
ところが、部屋の中から、あるものが見つかったことで 雰囲気は一変しました。それは、幼い頃の娘さんを写した写真の束。そして、その一枚一枚の裏面には、撮影日と成長記録のようなものが書き記されていた。「きょう、“アブナイ”という言葉を覚えた」 「ニンジンは嫌いなのかな?」 「生まれてきてくれて、本当にありがとう」 勝手に捨てるわけにもいかず、私はその写真を娘さんにお渡ししました。すると、見る見るうちに表情が変わり、彼女の頬をポロポロと涙が伝わりました。
「どうしようもない父親でした。正直、憎んでいました。それでも、私が生まれてきたことを喜んでいてくれたんですね……」
写真を胸に抱え、穏やかな表情になって母子は現場を後にされました。
「故人の想いを遺族へ紡ぐ」 内藤久(遺品整理の埼玉中央代表)
『致知』2014年10月号 特集「夢に挑む」より
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。