さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた、寒気を伴った気圧の谷の影響で、瀬戸内側や山地では雲の広がっている所が出てきた。気温は19度から26度、湿度は90%から55%、風は1mから4mの北北西の風が幾分か・・・。明日の19日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。
わが家の周囲にはこれこの通りのマンジュシャゲの花畑。昔の人が植えた訳でもないのだろうが、自然の力はすごいものだと教えられる。刈っても切っても剃ってもまた生える。
老化・・・ということで記憶力が著しく低下してきている。それに、そろそろ、認知症も進行しているのかも知れないが、ものごとを忘れてしまって大慌てすることが多くなった。そこで、柱に予定を順番に貼り付けておくのだが、これが風で飛んでしまったりして行方不明になったりする。
このように、テーブル・カレンダーにメモするのだが、ここにメモしわすれると闇の中になる。ま、多くは文書やメールで来るので紙化して柱に並べて貼り付けることになるのだが、メモしたことを忘れたり、メモ自体を忘れたり、メモした用紙が有ること自体を忘れたりと・・・いろんなことが起きるものだ。
で、こういう、スケジュール帳にメモしたり、タブレットのメモ帳やパソコンのスケジュール帳にメモするが、タブレットを開かないと予定表は見られない。パソコンだって面倒になる。そんなこんなで、カレンダーと、この予定表と、ダイアリーの予定表の三本柱が必要になる。
で、昨日、100円ショップで来年の予定表を買ってきた。それを、今年の予定表の後ろにドッキングした。こうすれば、今年の後ろに来年の予定表が書き込める。それでも、ここに書き込むのを忘れると、どうしようもなくなるのだけれど・・・。
昨日の草を刈った水路にも、マンジュシャゲは勢いよく吹き出してきている。この元気さがうらやましいと思う。毎年毎年、時期を忘れず、場所を忘れず時を忘れずに生えてくるのだから・・・。
さて、この棚次辰吉が使っているミシン、「簡便飾縫ミシン」というのだそうで、その特許を取った記念写真がこれだというのである。この「簡便飾縫ミシン」をずっと探して調べているのだが見つからない・・・。
ところが、某所にあった「新一ミシン」と言われる物がこれ。新一ミシンとは明治33年(1900)に棚次辰吉が発明した軽便飾縫ミシンのことである。同35年に専売特許4185号を取得した。手袋の飾り縫いだけでなく、ハンカチの飾り縫いにも使われていたという。
これが、そのミシンの説明書である。しかしのかかし、辰吉さんが使っている写真は、新一ミシンやなくて、この下のミシンによく似ている。
これみたいな格好しているのだが。この中間に何か改良型でもあったんだろうか。
ともかく、簡便飾縫ミシン=新一ミシン=ガタガタミシンは見つかった。「おお、兄弟、ここにおったのか・・・」という心境である。
念願の「新一ミシン」は見つかったし、探しあぐねていた「デスクブロック」というダイアリーも見つかったし・・ということで、気分的には楽になったのだが、はてさて、明日の法話会の話題が見つからない。
そこでまたしても、香川県立図書館に行ってきた。で、何冊かの本を借りてはきたのだが、前日になって大慌てしたって仕方がない。当日の雰囲気でお話を進め上げていくしかないか。
今日から奥方が神戸に出かけたので、今夜はじっくりとお話の構成を考えるしかないな。
今日の掲示板はこれ。「「やってられないよ」と思ったとき、「でも俺、頑張ってるよな」とつぶやいてみてください。「頑張ってる私って、結構いいな」と、自分を好きになってください。その方が生きやすくなるとは思いませんか?」という松岡修造さんのことばから。海外のテニスツアーは非常に厳しいもの。そして、一族からの支援は一切なし。名門生まれのお坊ちゃんが、ツアー時に宿泊した安宿の朝食で、隣のテーブルのクロワッサンを盗んで食べた・・・なんていうエピソードもあるそうだ。そんな彼が成し遂げた、1995年のウィンブルドンでのベスト8という偉業には、日本全国が歓喜した筈。そう、彼は単なる、おもしろおかしい、元スポーツ選手タレントではないのである。自分自身の力で、壮絶な人生を切り開いてきた、アスリートの言葉だからこそ、
そこには説得力があるのだと思うのである。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。