さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていたが、昼前からは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は20度から28度、湿度は94%から62%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の28日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。
昨日今日と、なんだか蒸し暑い日になった。じっとしていても汗がにじんでくる。ここは、高松市岡本町にある「奈良須池」である。ことでん琴平線・岡本駅の南にひろがる池で、寛文10年(1670)、高松藩御蔵奉行・前田与三兵衛によって築かれたと伝えられる。満濃池、神内池、三谷三郎池に次ぐ大きな池であるということから,奈良須四郎池と呼ばれた。
築造前には,土庄池・上池・下池・よしま池と呼ばれる4個の小さな池があった。工事は困難であったようで,当時の絵図には不成(ナラズ)と記載されていた。奈良須の名も,その事に由来するのかもしれない。
一時期、ここに歌劇場が作られ、花火大会なども行われる観光公園も作られたが、迫る戦争の足音の中で完成には至らず、「ああ、やっぱり、「成らず」じゃったなぁ」と囁かれたらしい。ということで、ここ、真光寺さんの夏参りと秋の永代経にお参りをしてきた。
看板にあったように「おとき進上」ということで、今日のお昼はこれをいただいた。
午後からは、明後日の朝の「モーニング・セミナー」用の取材に出かけてきた。明後日の講演の準備を今日からやるか・・・。ま、九割方はできている材料のスパイス変更というか、味付けを少しばかり替えておきたいかなぁということで。これは、「サトウキビ」。そう、讃岐の砂糖の神さま、向山周慶のお話なのである。
で、やってきたのは、「東かがわ市歴史民俗資料館」である。ここは、旧の「引田(ひけた)町立歴史民俗資料館」であったところ。この町の特産品が、「醤油」・「砂糖」・「塩」だったそうで、そういう資料が少しばかり展示してある。
これが、その「讃岐和三盆糖」の展示である。
この表が欲しかったのである。江戸時代後期、安政年間に、大坂に輸送された砂糖の量のグラフである。圧倒的に讃岐高松藩からの砂糖が多い。阿州というのは阿波の砂糖である。阿波は今も「岡田製糖所」という所が、この製糖技術を伝えている。
こちらは、讃岐国の白下糖(黒砂糖)の生産量の時代別生産量の比較である。22年間で、大きく生産量が伸びていることが理解できる。
で、帰りには、ここに寄ってきた。母のいとこになるパーマ屋さんの趣味工房。毎年、さぬき市の文化祭に、こうしたカカシを作って展示をしているが、今年のテーマは「防災」なんだそうだ。倒れている人を助けようとしている人。
傷ついている人をみんなで助ける「協助」。
避難所などの運営や食事の世話など、に働く「協働」作業。
災害時に、自らの命は自らが守る「自助」。今年もテレビの取材を受けるかしらん・・。
今日の掲示板はこれ。「葦(あし)と書いてもヨシと読む 勝手に決めるな 人の善し悪し」というもの。葦(よし)は、葦(あし)のアシと読む音が「悪(あ)し」に通じるのを忌んで、「善し」に因んでヨシというようになったそうで、「悪し」の気持をもって葦の髄をのぞくともっと良くない結果になるのかも。ただ、ものごとの「音」や「ひびき」などで、勝手に、「あし」だの「よし」だのと変えられてはたまらない。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。