さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は今期最低の13度から22度、湿度は86%から50%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。朝夕はすっかりと涼しくなって肌寒くさえ感じるようになった。明日の7日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。
今月10日には、親戚の結婚式があるからとかで、奥方は朝早くから和服の準備でガタゴトバタンバタンと賑やかであった。それでも、なんとか、6時までは布団の中に潜っていた。
ぽち(迷犬ごん)の散歩に行くと、朝早くからカンカン・コンコンという音がする。ここでも朝早くから木こりでもやっているのかと思って居たら、なんとまぁ、イノシシ君が檻の中に閉じ込められて大騒ぎをしているではないか。この鼻を天上にぶつけたり、金網を突き破ろうとしたりと必死の形相・・。体長は80センチほどの中型猪。でも、体力はありそうで、ドスン・ガツンと逃げだそうと頑張っている。
奥方が大急ぎで猟師さんに連絡して、私はルーティンの「俵札調査」のために「おへんろ交流サロン」に向かった。毎週火曜日の午前中はここでのお仕事になっている。
俵札というのは、この左にあるような小型(長さ50Cm・直径20Cmほど)の俵で、この中に、貴重だった紙類を押し込んである。その紙くずの中に、そこにあるような、お遍路さんの「納め札」も入っており、二千枚とか三千枚もの納め札が入っているのである。その他には暦・請求書や領収書・お札やお守り・子供の習字の残りと言った、さまざまな紙くずが入っている。
それをこうして、分類し、しわを伸ばし、一枚ずつファイリングしていく。我慢強い作業が続いている。
それをデジカメで撮影した物を、パソコンに画像として保管して、それを解読する。
それを、私が入力して保管するという作業なのである。今日は、私の家のある「しわく広島」の「立石浦の西内さん」とか、「市井浦の上(かみ)さん」の納め札が見つかった。明治41年のものである。解読担当の方が、「仲多度郡広島市井の浦上さん・・」というので、私が、「あ、広島市井浦の上さんです・・」とフォローした。地名や名前は知らないととんでもないことになってしまう。
11時半には作業をやめて片付けをして反省会と準役員会。樫原館長さんも出席して秋のイベントについての協力依頼やお願いやら・・・。今月の三連休には、イベントが目白押し。今月・来月のイベントの確認やら動員要請なんぞの確認。
私も各週末は全て埋まってしまっている。特に、この10日は大変。①おへんろつかさの養成講座 ②仏像講演会 ③しわく広島・廣島神社「秋の例大祭」 ④親戚の結婚式と、大変なことになった。結局の薬局で、④の結婚式優先という形で押し切られてしまった。
今日も、その反省会でコーヒーとケーキを頂いたらお昼はなし。で、恒例となった「火曜日の図書館通い」で、高松市林町の香川県立図書館にやってきた。幾分か、紅葉が進んでいる様子。この前には深緑が美しかったのに、今日は黄色みが多くなっている。
今日はまたまた、「歎異抄」の本を何冊か借りて来た。でも、やっぱり、どこにも「はんべるらん」の解説はない。確かに原文には「はんべるらん」とか「はんべらん」があるのに、解説でも注釈でも「はんべるらん」の解読や意味は記載されていない。「はんべるらん」は、なぜ、消えてしまうのか・・・。
あちらこちらの100円ショップを回り回って、ようやくに、毎年使っているカレンダーを見つけてきた。どうにも、これがないと落ち着かないのだ。これで、ダイアリーも揃ったし、卓上カレンダーも壁掛けカレンダーも揃って、目の前が開けた感じ。全く、習性というものは不思議なことだ。
今日の掲示板はこれ。「高い山を乗り越えて初めて物事は成せる。与えられた場に甘んじず、そこを乗り越えて、自分でなければできないというところを見せなければいけない。そういう気概で歩んできました」という、ノーベル医学・生理学賞受賞者の大村悟先生の言葉から。東京都内の夜間学校の教師から猛勉強の末、30歳で北里研究所の研究員になられた大村さん。周囲からは、「この経歴ではあまり将来性がない、教師を続けて将来は校長にでもなったほうがいい」と言われていたそうだが、高い志を持ち続けたことで、研究者として大輪の花を咲かてしまった。先生の大努力に最大の拍手を贈りたい。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。