丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12度から24度、湿度は86%から52%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の8日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
昨夜、しわく広島の自治会長さんから連絡があって、急遽、島に帰ることになった。というのも、奥方のけいこばぁが、屋島の娘んちにお泊りに行くことになった。それならば・・ということで、私も島の家にお泊りすることになったという訳である。
で、朝の8時半に我が家を出て丸亀には10時過ぎに到着。近くのスーパーで食材や飲み物を仕入れて、11時10分の高速艇に乗ることにした。
先週にもこれに乗って島に帰ったばかり。今週は私一人だけでの島の家帰りである。
海上15分、11時半には塩飽広島江の浦港に到着する。丸亀港沖には多くのイイダコ釣りの船が出ていた。
先週に草刈と剪定をしたもので、家の前はさっぱりとしているが、家の裏側や西手側は草ぼうぼうである。明日にでもパワーがあれば片付けておきたいものである。
午後からは自治会長さんとクルージング。イイダコ釣りかと思いきや、向かった先は・・・。
佐柳島・・・。本浦港に船を係留して、徒歩で乗蓮寺に向かったが、町並みはきれいなのだが人影がまったくない。白い猫が十数匹いて、しきりに私たちにつきまとう・・。
これが、佐柳高次さんのお墓。坂本竜馬さんらと行動をともにした人らしい。
こちらは咸臨丸に乗り組んでいて、サンフランシスコで病没した冨造さんのお墓である。合掌お念仏。
この子猫が上陸以来、ずっと、私たちにつきまとってくる。私たちはお菓子どころか何も持ってはいないのだ・・・。それでも執拗につきまとう・・・。
そこから徒歩で長崎地区に向かう。途中にある佐柳小中学校跡。木造の校舎が小学校らしい。右の鉄筋コンクリート建ての校舎が中学校だろうか。
校舎には鍵がかかっておらず、内部を見学できる。ここは前と後ろに黒板がある。複式学級ということで、前は6年生、後ろは5年生が使うとかとしていたらしい。最近、ここを訪問した人が思い出らしきものを書き記してあった。
静の本浦地区とは対照的に、長崎地区にはこんなものがたくさんある。漁師さんが使う浮き用のブイである。これにさまざまな顔を書いてある。お隣の粟島では、これをのこぎりで切ってさまざまな人形を作っているが、こちらはペンキで顔を描いてある。
最終目的地はここ。「佐柳の埋め墓」、両墓制の埋め墓群である。でも、さすがに、最近では、ここに埋葬することはしなくなったと聞いた。ここには十数人のお年寄りが集まって、にぎやかに談笑しているのが印象的だった。
で、島の各地で見かけたこの看板。最近、イノシシが急増していて、暗くなってからは危なくて外に出かけられないのだとか。で、すでに何頭も捕獲処理されたそうだし、ワナも山中にたくさん仕掛けられているとのことだった。島の人の話では相当、繁殖しているとのことだった。
16時半に佐柳島を出航して、塩飽広島に戻ったのは17時前のことだった。
今日の掲示板はこれ。「苦しみをなげく人あり 苦しみを活かす人あり」というもの。これまた、どこのどなたの言葉かはわからないのだが、過去に起きた不運な出来事は、すでに過ぎてしまった仕方ないことである。それをいつまでも引きずり、 苦しみを背負い続けるか、それとも、それを活かして人のために役立たせるか、その発想には人生のつくられ方がまったく逆になることだろう。大切な一度きり の人生をしっかり見据え、考え、生き方を選択したいものである。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。