丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていたとはいうものの、なんだか薄曇りと言ったほうが似合ったかも知れない。気温は14度から25度、湿度は94%から48%、少し動けば汗がにじんだ。風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の10日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、午後は気圧の谷が近づくため、雲が広がりやすい見込みらしい。
昨日はよほど疲れたものか、目が覚めたのは6時半。すぐに室内を片付けて、剪定した枝や刈り払った草を片付けた。切り飛ばしたまんまではなんとなく格好が悪い。で、7時過ぎから簡単な朝食を食べて7時半からは広島神社に向かった。
ご案内の通り、江の浦地区の氏神さんである広島神社の秋の例大祭の前の準備、これをこの島では「出事(でごと)」と呼んでいる。今回の出席者は14名。服忌(ぶく)がかかった(葬儀があった)とか、葬儀に行く・・とかで、ずいぶんと欠席者が多くて、これだけになってしまった。
まずは全員で境内の掃除をし、その後、女性はお宮さんの中の掃除、男性たちはのぼりを建てたり、提灯を飾ったり、幕を張ったりする。私はもっぱら電気工事や高所作業を担当する。祭事そのものに関わるお仕事はやらせてもらえない。
電柱を建てるのは慣れていたので、こうした長尺物を扱うのはお手の物だし、電気工事もお得意分野。
こうした提灯などの電気工事も私のお仕事。
過疎と高齢化で、とうとう、御神輿を出すのは諦めたそうで、御旅所の設営も中止になった。人がいなければ、おまつりはできない。午前10時半には準備もあらかたできたようで、一応、ここで解散になった。あとはお当番さんが飾り付けや玉串などの準備をするそうだ。
だから私もここでお暇を頂いて帰ることになった。私のような外様というか「よそ者的」なものは祭事には携われないとされてきた。とっくに「人名制」というのは崩壊してしまったが、この島には「株仲間」というのがあって、このお祭りは「山脇株」と「秋原株」が取り仕切る・・・というようなことがあった。そういうものは、とっくになくなったと聞いたのだけれど、数年前に、総代さんが交代したら、そんなことをチクリと言われてしまった。
一応、家があるもので、自治会のお仕事はこなさなければならない。島のルールはルールとして守らなければならない。ま、できる範囲でいいのだけれど。
それはそれとして、昨夜の自治会長さんとの雑談の中で、11月の行事の中で「ダブル・ブッキング」があることに気づいて一騒動あった。というのも、丸亀市の歴史研究会から、11月中旬に講演して欲しいという依頼を自治会長さんからは聞いた。しかし、研究会からは一切の連絡がなく、日時や場所すら連絡がなかった。だから、私はマチ歩き探検隊のスケジュールをタブレットにインプットしたが、歴史研究会は確かに約束したではないか・・と仰る。聞けば、ダイアリーには、確かに講演会の記録が残っている・・・。あれれのレレレ・・・。
なんとか、予定を一週間繰り上げてもらい、そこにあった「ふれ愛まつり」という文化祭の準備は勘弁してもらって、咸臨丸関係の資料作成は前日までに届ける・・・ということでお話はまとまった。で、講演会からそのまま島に帰り、翌日の8日の文化祭には参加し、会場の片付けには参加するというこになった。11月の予定表も一杯になってしまった。
で、12時55分のフェリー・しわく丸で塩飽広島を出て帰路についた。なんだか、蒸し暑い午後になった。
毎年、「ふれ愛まつり」という島の文化祭にはなにがしかの展示をしていたのだが、最近は、こちらさぬき市や香川本土での調査や勉強が主になって、昨年はついに何の展示も出すことができなかった。ところが、自治会長さんが、孫が作った咸臨丸の模型を出展するので・・というので、私の咸臨丸も並べることになった。で、その背景に、広島から咸臨丸に乗り組んだ11人の水主(かこ)=水夫の一覧表を作って張って欲しいと仰る。あらら・・またまた、お仕事が増えてしまった。
今日の掲示板はこれ。「捨てれば浮かぶものを つかんで沈む人間の愚かさ」というもの。あれも欲しい、これも欲しいと、掴んで集めて盛り上げて・・・、そのあげく、置き場に困ったこころがふさがって。どうせ、お浄土にも地獄にも持って行けない物ならば、捨ててしまったら楽になるだろうに・・・。わかっちゃいるのだが、ついつい、ハイ、よろしい。ハイハイ、いいですよ・・と引き受けすぎて沈んでしまう・・・。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。