慌ただしい一日であったようで、当日がどんな天候だったのかは全く記憶にはない。おそらく晴れていたのだと思う。気温は16度から23度、湿度は92%から56%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。
朝の4時半起床、ぽちの散歩を済ませ、娘家族がやってきて慌ただしく朝食。7時過ぎには自宅を出て、高松自動車道「津田の松原SA」にやってきた。ここ で、私のすぐ下の「よっくん」家族と合流し、ここで貸し切りバスを待つ。ところが手違いで、バスがやってきたのは9時前・・・。
ここで、その下の「たっくん」家族らと合流して、チャーターバスで大阪を目指して走る。途中、淡路SAでトイレ休憩をし、車内で簡単な昼食を食べる。このバスに乗って居るのは12人。バスは1時間半で大阪市内に入る。
天候はすっきりとはしていないみたい。
このでっかい所が結婚式場「太閤園」。この日は「日が良い」とかでたくさんの人の流れ・・・。
とにかく待つことばかり。控え室にも時間が来なければ入れてくれない。聞けば、結婚式は2時半からだという・・。この間、3時間・・・。あちらでうろうろ、こちらできょろきょろ・・・・。足が痛い、腰が痛い、荷物が重い・・・。
太閤園の歴史は、明治時代、関西財閥の雄であった藤田伝三郎翁が淀川畔に築造した「網島御殿」にまで遡るという。本邸、西邸、東邸と豪壮を誇った邸宅 のほとんどは1945(昭和20)年の戦災によって失われてしまった。唯一残された東邸『淀川邸』をレストランとして使用。今もなお、深いやすらぎをもた らす都会の中のガーデンレストランとしているほか、結婚式場として使われている。約7,000坪の広大な敷地に築かれた築山式回遊庭園では、小豆島や生駒山などから集めた自然の奇石、珍石を庭石として使用。また、由緒ある灯籠、石仏塔なども日本全国から集められているのだとか。
13時過ぎから、ようやく新郎親族控え室と言うところに案内されて休憩し、14時過ぎから結婚式場のチャペルに誘導され、14時半からの挙式。私の弟よっくんの二男、こうじ君の結婚式である。
15時には結婚式も終えて、ブーケのトスやフラワーシャワーなどがあって、記念写真。
新郎側、新婦側と記念写真があって、今度は四階の集合写真の撮影室へ・・・。上がったり下がったりの移動が続く・・・。
集合写真の撮影が終わると、今度は一階へ降りて、通路を右へ左へ動いて披露宴会場へ・・・。田舎のおじさんたちは、「目が回るでないかい・・」とか「迷子になってわからんようになるが・・・」などと・・・。披露宴は16時半からだという・・。またまた、控え室へ案内されて休憩。
披露宴が始まった頃には、体力的にも精神的にも疲労困憊。家を出てから8時間以上が過ぎている。
若い人たちは元気だが、どうにも身体が動かない・・・。
宴たけなわともなれば、「サプライズ」・・・。さすが、都会の結婚式は手慣れた人たちが多い。最近の披露宴とはこんなものなのか・・・と、目をパチクリ・・・。
披露宴がお開きになったのは19時過ぎ・・・。そこで若者たちは二次会だ久々の大阪だということで思い思いの場所に消えて・・・。
20時過ぎにバスに乗り込んだのは、おじさま・おばさまの7人だけ。疲れ切った高齢者たちは言葉を交わす元気もなく讃岐目指して帰ったのだが、バスの降車位置は、上り車線と下り車線は違う・・・。重い荷物を提げて、灯りも少ない坂道を、下り車線から上り車線下の駐車場までとぼとぼと・・・。わが家に着いたのは、11時、23時を過ぎていた・・・。
今日の掲示板はこれ。「あればあったで不満があり、無ければ無いで不安になる」というもの。結婚式にも行けば行ったで不満があり、行かなければ行かないで不安になるし。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。