さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16度から22度、湿度は82%から60%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の22日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。
今日は孫のなぎちゃんたちの中学校の音楽コンクールだというので、奥方の運転手ということで、高松にやって来た。玉藻城横にある「アルファあなぶきホール」、いわゆる「香川県民ホール」である。
高松市立屋島中学校は毎年、この時期に、この県民ホールで音楽コンクールをやっている。昨年までははやて君の応援というか写真撮影でここに来ていたのだが、今年からは、なぎちゃんの番になった。
大きな声では言えないが小さな声では聞こえない。本音のところを言えば、なぎちゃんの出るところだけを見ればいいと思うのだけれど、奥方は全部を見たいということで、10時開場なのに、8時過ぎからわが家を出て、ホールに着いたのは9時過ぎ・・・。
少子化だ少子化だと言われながらも、ここの中学校にはわんさかと子供達がいる。1学級を40人としても6クラスあれば240人か・・。それの三学年というと720人。あくまでも概算の話しなんだけれど・・。
これは1年団の合唱だった筈。保護者席は四階だから、誰が誰だかわからない。分からなくてはちっとも楽しくもない。
これがなぎちゃんかなぁ・・という程度。
保護者席からはこういう感じ。何がなんだか、ちっともわからん・・・。でも、親御さん達はしっかりと我が子を認識しとるようで、盛んにビデオやスマホで我が子を追いかけ回している。
1年生の合唱が終わったもので、私は玉藻公園に行ってみた。旧高松城址である。万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされている。高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、天正15年(1587)、讃岐1国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれた城である。
現在見られる遺構は、江戸初期に、徳川光圀の兄の松平重によって改修されたものである。近世城郭の海城としては、最初で最大の例で、「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われている。現在は、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存し、城跡は「玉藻公園」として整備されている。ここで、菊花展が開かれているというのでやってきたのだが・・・。
数といい、質といい、先日に見た「公淵公園菊花展」とは雲泥の差があった。うろ覚えなのだが、ここはなんとかの競技会とか聞いたけれど、全くの見当外れなのかも知れない・・・。全く、「お年ですなぁ・・」。
やはり、ここも、「大輪」というか「厚物」は元気がいいが、
小菊の方になるとまだまだ・・というところ。
お昼休みには、こういう管弦楽団の演奏会とか合唱部のコーラスとかも披露されたり、ゲスト演奏ということでプロの方のコーラスなんかも披露してくれた。
今日の掲示板はこれ。「ほんものは続く 続けるとほんものになる!」という東井義雄先生の言葉から。私たちの生きる道は、一度しかない人生なのだから自分と向き合い、自分を高めていくのが人生の醍醐味なのかも知れない。色々と誘惑や欲望が多いのはどの時代でも同じようで、 その自分の誘惑や欲望の種類は人それぞれに異なるが、小さな勇気を発揮してそれを凌駕するような本物の勇気の心、本物の実践を積み上げていきたいと思うことである。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。