さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は13度から24度、湿度は98%から62%、風は1mから3mの北北西の風がすこしばかり・・・。明日の23日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。
朝の間は、11月7~8日に行われる「しわく広島のふれ愛まつり」=文化祭に掲示する資料の作成。咸臨丸に乗り組んだしわく広島の11人の水夫の名簿である。
相変わらずセンスはないが、一応、目的は果たしているように思う・・・。
で、10時半からは隣町の歯医者さんへ。11時前においでてください・・・というので行ってきた。
というのも、昨日の合唱コンクールのお昼休み、お弁当を食べていたのだが、最後のデザートの柿を食べた時なのだろうと思うのだが、柿と一緒に前歯まで食べてしまったらしい・・。下の前歯一本が折れてしまったらしいのだが、本人は全く気づいていないのだ。トイレに行って、洗面台で口をすすいでいて気が付いた・・・というお粗末さ。
この23日の金曜日には、全国校長会女性部会の大窪寺研修のガイド役が決まっているし、24日の土曜日にはおへんろつかさ養成講座・大窪寺実地研修のサポート係にもなっている。前歯がなくても支障はないが、ちと、空気が漏れて話しにくい・・・ということで、掛かり付けの歯医者さんにお願いに行ってきた。おかげで、秀吉の一夜城・・・みたいに、とりあえずは前歯が補修できた。
今日の予定は「空き瓶の回収日」、11時前からの歯医者さん、咸臨丸の資料作成、レキ墓研究のパワポ修正、古川阪次郎・山口嘉次郎資料探しなどを予定していたが、咸臨丸の資料作成まで。
昨日のことだが、本島の和尚さんから、「本島の先生が『本島の歴史と民俗』という本を探して居るが在庫はあるか」という問合せに続いて、広島のみちこ先生から「丸亀の木下さんという人から、古川阪次郎さんと山口嘉次郎さんについての資料が欲しいと言うてるので手配して欲しい・・」という電話連絡が相次いで・・・。さらに、「九州の岡田さんという方が先祖捜しをしているので、『咸臨丸と塩飽諸島』という本をさがしているんだけれど・・」というお話も・・・。あららら・・・。盆と正月とお彼岸とお祭りがいっぺんに来たようなめまぐるしさ・・・。わて、ほんまによういわんわ・・・。
ということで、古川さんと山口さんの件は来週の宿題にして、レキ墓講演会のリハーサルも来週に持ち越しにして、今日の午後はこちらのデータ整理・・・。エクセル・シートのデータを並べ替えて整理をしてみた。
データ1500件中、香川県人の納め札は276枚、約20%である。あくまで住所が記載されていた物の中からである。大内郡・寒川郡・大川郡を含めて大川郡としてカウントしている。木田郡・三木郡・山田郡も木田郡としてカウントするなど少し乱暴な数字ではあるのだが。
こういう納め札は、札所に納められた物は「お焚き上げ」ということで燃やされてしまって記録には残らない。そこで、農家や商店などの屋根裏に保管されていた「俵札」による他ないのである。今年末か来年頭あたりに、展示会を開いて公開するのだが、現在はその準備段階。
これで気づくのは、都市部からのお遍路さんが少ないこと。女性のお遍路さんが多いこと。期待していた、娘遍路で有名な伊吹島からのお遍路さんのものが見えなかったことなどがあった。この調査はあくまでも「中間報告」みたいな数字ではある。
広島の「ふれ愛まつり」は11月の7日と8日。その7日の午後から丸亀市内で「英国士官レキの墓」についての講演会が予定されていて、その講演を行う予定。だから、6日に広島に帰り、準備をしつつ、7日の昼前に広島から丸亀に出て講演をこなし、夕方には広島に戻るという、これまた慌ただしいことになりそう・・・。
今日の掲示板はこれ。「待ったなし やり直しなしに 木葉散る」というもの。鬼倉興龍先生のことばであるらしい。次に生まれる若芽にいのちを託して、古い葉は散ってゆくもの。しかも散りぎわに、『裏をみせ表を見せて散る紅葉』と永遠の生命の縦承のために静かに散り、 譲り受けた生命は大地に立って長い冬の寒さを忍びながら、新たな春の新芽となっていく。思うままにならない人生であり、予期せぬことに出合ったとき、戸惑 い、うちひしがれていくこともあり、辛い道のりだけれども、たしかな人生を強く歩めたらと、感じる今日このごろ。私も一度しかない人生を美しく歩み、美しく散って行きたいと思うばかりである。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。