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Channel: まほろば自然博物館
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立冬を 過ぎてうちわを 片付ける

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 さぬき市地方は寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は14度から17度、湿度は88%から70%、風は1mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の11日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は全国的に火曜日だということで、恒例のここにやってきた。さぬき市前山という地区にある「道の駅ながお」の向かいにある「おへんろ交流サロン」である。ここで休憩をしてから、花折峠に向かっていく歩き遍路さんが多い場所。

 

 今日はお天気が悪いのに、雨具を付けた歩き遍路の方が多くやってきて休憩をしていた。

 

 私たちはいつもの「俵札(納め札)調査」で、この方達は、特に古い納め札を解読したり、整理をしている。

 

 前回から、このおばちゃんが画像の解読に参加してくれていて、筆文字を読むのに苦労している。

 

 私はいつもの、エクセルシートにデータの入力。今日は1635から1750までの115件の入力になった。四国以外の住所が読めないので時間が掛かってしまう。ま、香川県は土地勘があるもので、雰囲気で、「あ、粟島だ」とか、「あ、佐柳島だ」と分かるのだが、「豊前国」のなんちゃら・・・と書いてあっても、これらは読めない・・。

 

 12時前には作業も終わって解散になった。天気が悪いので紅葉見物もできないし・・・と言うことで、昨日にニュースでやっていた、「塩江美術館」に行ってみることにした。

 

 昔は・・・というか、少し前までは「塩江町立美術館」だったが、平成の大合併後は、「高松市塩江美術館」になっている。

 

 「写真でたどる塩江の記憶」ということで、古い塩江の様子を見ることができるらしい・・というのでやってきたもの。

 

 昭和初年、有志によって塩江温泉鉄道株式会社が資本金75万円で創立され、昭和3年(1928)工事に着手、昭和4年11月12日琴平電鉄仏生山駅から塩江 までガソリンカーの営業をはじめた(運賃は仏生山~塩江間40銭)。この鉄道は以後、約12年間営業が続けられ、塩江温泉の観光開発に大きな役割を果たし た。 

 

 この温泉鉄道開通と並行して、新しく旅館花屋直営の温泉場が花屋旅館の東隣に建ち、観光塩江に異彩をそえた。この建物は洋風2階建てで、当時としてはモダン な建物であった。1階には浴場、休憩室、売店、遊技場、理髪店などがあり、2階には演劇場も作られ、温泉専属の少女歌劇が数年間にわたり年中無休で開演さ れ「讃岐の宝塚」と宣伝して浴客の人気を集めていた。 

 

 また、その頃のこの温泉場周辺で菊人形展および菊花展が盛大に行なわれた。これに刺激されて塩江地区を中心に鑑賞用菊の栽培が盛んであった。それ以後、この 温泉を「新温泉」、在来の温泉を「旧温泉」と呼んでいた。旧温泉一帯の地はガソリンカー開通と同時に、土地所有者に返し、その後間もなく村有であった温泉建物も売り払った。その後、温泉経営者が地区の旅館業者に委託して細々と営業を続けていたが、昭和和34年、煙草の不始末によって焼失し、一世を風靡した旅館 「花屋」 は幕を閉じた。

 

 企画展示室では、「Adam Weston」の「生命の鼓動」という展示が行われていたが、どうにも、こういうアートはわからない。

 

 で、サービスコーナーにあった、「瀬戸マーレ」を頂いてきた。

 

 恵峰さんのコーナーをしっかりと読ませていただいた。

 

 今日の掲示板はこれ。本文とは脈絡もなく、「人生とは自転車に乗るようなものだ。ペダルをこぐのをやめなければ、転びはしない」という、クロード・ペッパーのことばから。クロード・ペッパー(Claude Pepper/1900年9月8日-1989年5月30日/男性)は、アメリカ・アラバマ州出身の政治家。主な要職にアメリカ合衆国下院議員(1963年-1989年)、アメリカ合衆国上院議員(1936年-1951年)などがある。(参考文献:ウィキペディア)

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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