さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は12度から17度、湿度は80%から49%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の13日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜には雨が降る見込みらしい。
先日の丸亀市での歴史講演会の後で、「今回のパワーポイントの画面コピーが欲しい・・・」という熱心な方がおいでになって、半分、面倒だし・・、半分、また、赤字になるし・・・ということで、お断りしたのだが、どうしても・・というので、シートを印刷して製本した。
先日には、塩飽本島の学校の先生から、「本島の民俗と歴史」という本が是非とも欲しいので送って欲しい・・」という依頼があって、その二冊を郵便局から送ることにした。多くの場合、本を送っても礼状の一枚も来ない。だから、いつもお断りはするのだけれど。そうそう、国立国会図書館だって、「送れ、送れ」と言うだけで、ハガキの一枚の礼状も来ない。
愚痴ばかりこぼしても意味がないので、今日は、ここの「タイム取り」。この、土曜日のまちぶら探検隊の「みろく公園編」。どういうルートで案内すれば時間が節約できるか・・ということで、三コースを実際に走ってみて、歩いてみて、時間を計測した。
あの、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の讃岐版の隧道である。この石穴の現物を見てから、「さぬき市歴史民俗資料館」に向かう。現物を見てから説明する方が理解しやすいだろうと・・・。
こちらが「さぬき市歴史民俗資料館」で、この建物は、「伝習館」で、この建物の向こう側に、本館の資料館がある。
伝習館の入り口を入ると、このようなジオラマがある。ま、こんなことで、トンネルを掘ったのだろう・・という想像風景である。この隧道の中は、おとながかがんで(背を曲げて)通れるだけの高さである。
この資料館からさぬき市末にある「田舎カフェ樹樹」まで行って、その時間を計り、そこからユーターンして、この「霊芝(れいし)寺」に寄る。ここは数分の距離。ここは「高野山真言宗」の寺院で、高松藩主のお墓がある。そのお墓を見学する予定。
こちらが霊芝寺さんの本堂で、本尊は十一面観音。高松藩初代藩主・松平頼重公が再興し、二代藩主・頼常が東林山霊芝寺と名を改めたのだとか。
これが、二代藩主・常公と十代藩主・頼恕公の墓地への石段であるが、これが実に歩きにくい。高さが一定ではなく、また、奥行きもバラバラ・・。どうやって歩けばいいのかと思案する。それに、食後のおなかには遠く思える。
その先には、このような門があって施錠されている。当日は、開けてくれている筈。高松松平藩は浄土宗のため、仏生山法然寺が菩提寺で、その裏手山頂に「般若台」という一族の墓地があるが、この二代目と十代目だけは水戸藩から来たために、実父水戸光圀公にならって「儒教方式」のお墓になっている。
これが、上の門を入ったところにある「御霊家」で、位牌所と呼ばれているもの。
その先にも階段ばかりが続いている。どうにも坂道や石段は苦手なのである。それだし、土曜日は天候が悪そう・・・。
ここのイチョウはこれからみたい。ここで、「落ち葉相撲」ができそうだ。
と言うことで、旅程表ができた。あとは、当日の天候と、私の体調次第・・・。頼みますぞ。
今日の掲示板はこれ。「掃けば散り 払えばまたもちり積もる 人の心も 庭の落ち葉も」というもの。道歌というものらしい。私たちのこころには、毎日毎日、塵や埃や芥が降り積もる。あれが欲しい、これも欲しいという気持ちが巻き起こり、あいつはけしからんだの、この俺こそが正しいのだという、さまざまな感情が沸き立って、それが降り積もっていく。積もるのであれば、そういうものを払えばいいだけのことであるし、掃き飛ばせばいいのだけれど、こころの塵は掃き飛ばせない。道路を走っていると、毎朝毎朝、自分の家の前や庭先はきれいに掃除をしているが、どうして自分のこころの庭に降り積もったゴミや埃や塵を、掃き捨ててしまわないのだろうか・・・、と、思う事である。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。