さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていて、うすら寒い一日になった。気温は8度から12度、湿度は74%から59%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の7日は、引き続き気圧の谷の影響で雲が広がるけれど、昼前からは高気圧に覆われて晴れてくる見込みらしい。
さて、今日は「おへんろつかさ養成講座」の第六回目で、「へんろ道を歩きながらの現地研修」の日。さぬき市役所に集合して9時出発。朝の間は青空が見ていたのだけれど・・・。
チャーターバスで、86番札所の志度寺に向かい、庭園内に移設されている「真念の道標」からのお勉強。この青いジャンバーを着た方が本日の講師の渡辺さん。今回の研修生は24名に、私たちサポーターが6名。
途中何カ所かで遍路墓や道標を見学したり、旧へんろ道を歩きながらの研修になる。私たちは交通整理や補助の説明役。旧遍路道の「一心庵」から徒歩で、この「高地蔵」まで歩きながらの研修になった。
これが「高地蔵」と言われているもの。この地蔵は台座の上に座り、4メートルに余る高さなので、こう呼ばれている。一説には、洪水が多かったので流されないように高くしてあるとのこと。ここの場所が、旧長尾西・長尾名・前山村の三か村の村境に建てられたもので、その三か村の庄屋が発起人となって文久元年に建立されている。
これが、今回の資料集。「道標」としうのは「道しるべ」、「へんろ墓」というのは墓石のうちの「伊予国」などの住所が刻まれていて、「へんろの墓」と認められるもの。住所がなければ「へんろ墓」とはカウントされない。
11時半ごろ、おへんろ交流サロンに到着、ここで昼食になる。
これが、今日のお弁当。少し軽めかなぁと思ったが、このご飯が「赤飯」だったもので、胃袋にずっしりと居座った。
お昼からは、旧へんろ道に踏み入っての実地研修。こういう竹藪の中や・・・
川沿いのあぜ道のようなへんろ道を歩きながら、「丁石」や道標を見て歩く。ちなみに「丁石」というのは、昔の距離の単位で、一丁は109m程度とされている。これが、70丁から1丁まで建てられていて、その数字は大窪寺に向かって減って行く。
こういう、旧へんろ道を歩きながら丁石やへんろ墓を探していくわけである。
これが、丁石(ちょういし・ちょうせき)である。頭に「大窪寺までの距離」が刻まれ、向かって右に年月日と左に寄進者の名前が刻まれている。
途中には朽ち果てた「へんろ宿」があったりする。蛍光灯が見えるから昭和半ばごろまでは人が住んでいたと思われる。
これもへんろ墓であるが、墓石はない。お金を持たないおへんろさんは、こうして埋められておしまいになる。ここは、とある遍路宿の子孫がこうして供養をしてきたが、とうとう維持できなくなって、今日限りで移設されてしまうそうで、本日限定だということだった。
ここは地域の聖域で、さまざまな石仏や地神などをおまつりしてある場所。ここにも貴重な石仏などが安置されている。
その一角に、こうして整備された場所があって、先のへんろ墓も、ここに移設されるとのこと。こうして、地域の方の手厚い保護と供養が今もなお続けられている。
最後は、大窪寺の墓地である。この古いお墓群が、へんろ墓である。大窪寺周辺にあったお墓を、交通事情や土地の利用変更などで、ここに移設されてきたものである。だが、これらのお墓は、氷山の一角、お金を持っていたり、故郷の連絡先が分かったり、お寺の過去帳に記載されたという恵まれた人で、山中で行き倒れてそのままになったり、オオカミや野犬に食べられたりしたおへんろさんは数しれないという。
まさに、旧へんろ道は、おへんろさんの、汗と涙と血塗られた歴史の道であったのだ。みんなさんで合掌、黙祷をしたことだった。
今日の掲示板はこれ。「人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ でも その考えを無理やり他の人に押しつけてはいけないな」というスナフキンのことばから。トーヴェ・ヤンソン原作の「ムーミンシリーズ」に登場するキャラクター『スナフキン』は、自由と孤独を愛し、束縛されるのを嫌う。その一方で、他人にとても優しい。でも決して他に媚びることなく、自分の色を持ち続けるスナフキンだからこその言葉。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。