さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていた。気温は6度から12度、湿度は82%から56%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の7日は、冬型の気圧配置となるため雲が広がりやすく、明け方から朝にかけては雨の降る所がある見込みらしい。
今日は「讃岐一の宮」である「田村神社」に行って来た。ここも初詣で有名な神社だと思うのだが、昨日の一覧表には出ていなかった。大きな神社なのだが、住宅地に隣接しているせいか、駐車場が狭い。だから参詣人が集まらないのだろうか・・・。
ここに来るのも久しぶり。会社員時代にはトイレ休憩に寄ったり、弁当を食べるのに駐車場で休んだりしたものだったが、最近はとんと用事も興味もなくてきたことがなかったが、まぁ、いろんな石像やら石碑やらが林立しているようなお宮さん。
通路の真ん中に、こんなでかいものが鎮座している。
やはり、ここにも制服組やスーツ姿の会社員らがお参りに来ている。拝殿の中ではご祈祷が行われている。「なんたら株式会社のなりわいをことほぎ・・・・」会社さんの商売繁盛をお願いしとるんだろうか・・・。
「まんのう町社会福祉協議会」とかのマイクロバスやデイサービスセンターの送迎用車両なども数台ほど見かけた。車いすの方も数十台がお参りしていた。
これは大判小判らしいが材質はプラスチック製らしかった。小判が600円、大判が1000円。裏側に住所氏名を書いて納めるものらしい。みなさん、お金持ちやねぇ・・というか、お願いのためならばどんどんとお金を投げるみたい・・・。
こういう石像やら干支の動物やらがそのあたりにいっぱい・・・。灯籠や照明ライトの上にも干支が乗って居たりする。それだって、寄付や寄進でできているものらしい・・。
おみくじだって、干支の前ごとに置いて有る。お遊びで100円のおみくじを引いてみた。「吹きあるる嵐の風の末ついに 道うまるまで雪は降り積む」・・・・。遭難しそうな歌ではないか・・・。
お姉さん方はおみくじの一句一言に一喜一憂してわぁわぁと賑やかである。
この結んである一つが100円でも、これだけになれば、相当な金額になるなぁと、他人さんの財布を心配しても仕方がないが、おみくじもまた、神社巡りには楽しみなものかも知れない。
帰り道、さぬき市の図書館に寄ってみた。宿題をしている中学生や新聞を読みふけるお年寄り・・・。のどかな田舎の一角である。
まだ、お正月気分なのか、館内は静かなもの。
暇つぶし用に、また、こんなものを借りてきた。この人の本ならば退屈しなくてもすみそうだ。
今日の掲示板はこれ。「生かさるる いのち尊し けさの春」という、町内のお寺にあったもので「中村久子」さんの句である。中村久子さんは、1897年、飛騨の高山で誕生し、三歳のとき突発性脱疽に罹り、両手両足を無くされた。中村さんは、その障がいの事実を真正面に引き受けて、人権意識が未成熟で障がい者への差別の厳しい、生きていくのも非常に困難な時代を、女性として、母として、そして何よりも一人の人間として72年の生涯を生き抜かれた。晩年詠まれた「手足なき身にしあれども生かさるる今のいのちはたふとかりけり」に、自己の「身の事実」を機縁として、真実の世界に目覚 めていくという、中村さんの心の軌跡が窺える。 春は、全ての「いのち」をはぐくみ、育てる自然の営みの尊さをひとしお輝かせて見せてくれる。中村さんは、その中に生をうけ、生かされている自らに気づか され、その事実によろこばれたことと思われた。目覚めるたびに今朝も生きているとの確認は、生かされていることの体感であり、実感であったのであろう。そ の体感が苦難の中を精一杯生きる力となったものと思われる。 「今日のことば(句)」は、新しい春を迎え、あらためて人間の存在の真実を考えさせてくれる ものであろう。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。