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Channel: まほろば自然博物館
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紅梅の おずおずと咲く 老いの家

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、夜は雨の降る所があるらしい。気温は5度から11度、湿度は76%から56%、風は1mから4mの北西の風が少しばかり。明日の12日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、明け方まで雨や雪の降る所がある見込みらしい。

 

 世の中は「成人の日」とか「鏡開き」とか「蔵開き」とかなのだろうが、ドレミの「ド」が付く田舎の一軒家では、全く縁のないお話で、今日はのんびりと過ごしてしまった。

 

 正月休みの宿題の「納め札調査」のデーター整理をどこまでやったのか確認してみた。おそらく、明日の火曜日が今年最初の調査会になる筈。データーの投入は全て完了したので、そのデータをどういう風に調理するかの問題になる筈。上の図は、田淵家の俵札から出てきた納め札を調べた結果を都道府県地図上にプロットしたもの。

 

 納め札のなかった県は、東北の6県と栃木県、九州の熊本・佐賀・沖縄の計10県であった。やはり、多いのは四国と京阪神や中国地方、九州北部ということになる。当然だろうなぁと思う。

 

 四国地方を見ると・・・こういう結果になっている。これだけのデータで、どうこう言える数字ではない。たまたまかも知れないし、何かの理由があってこうなったのか、それさえもわからない。

 

 ま、こういうデータは揃ったけれど、これらから、何かが見えてくると言うものでもない。今回のこの調査で、私が興味を引かれたのは「胆振国(いぶりのくに)」という国名であった。こういう国があったということを聞いたことも見たこともなかったので、たいそう、興味を引いた。

 

 胆振国は、戊辰戦争(函館戦争)終結直後に制定された日本の地方区分の国の一つであるらしい。制定当初は膽振國とも表 記された。国名の由来は、斉明天皇のころ阿倍臣が胆振鉏(いぶりさえ)の蝦夷(えみし)たちを饗応したという故事にちなむ。道南から道央にかけての地域に 位置していた。そういう所からも四国遍路に来ていたものらしい。

 

 明治15年(1882)2月8日、廃藩置県にともない山越郡は函館県の、それ以外の全域は札幌県の所管となったらしい。こういうことは歴史では勉強しなかったと思う。

 

 ということで、今日もPC三昧。

 

 ホームページの更新、おへんろつかさの会ホームページの更新作業もやっておく。

 

 なんだかんだと大騒ぎをした年末年始もあっと言う間に過ぎ去って、早くも1月も11日を過ぎようとしている。最近は日が短いせいか、一日が終わるのも速い。よく、年齢が速度だと言われるが、子供の頃は時速7Kmとか8Kmとかだが、最近は67Kmだとか68Kmという高速にもなっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「ふまれても根強くしのべ福寿草 やがて花咲く春は来るなり」という、昨日の言葉にも似たことば。辛くても、我慢して耐え忍んでいれば、きっといつかは報われる、という、この歌では冬を耐え忍び、春の訪れを待ちわびる福寿草に照らし合わせている言葉である。人生は楽しいことばかりではない。嬉しいことばかりではない。どんなにしても辛い状況が続くことがある。そんな中にあっても、投げ出したり諦めたりせずに前向きに生きてゆきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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