さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、寒気の影響で瀬戸内側西部や山地では雲の広がっている所があった。気温は6度から10度、湿度は75%から42%、風は2mから6mの西の風が一時は強かった。明日の22日は気圧の谷の影響で雲が広がる見込みらしい。
少しばかり春めいてきたかのような一日になった。風が冷たい・・・とは思わない。少しばかり風が温んできたかなぁと思うような朝になった。
最近は奥方も仕事に慣れてきたのか、今日はお休みなんだという。奥方がいるのに出かけられない。「どこに行くの」「何をしに行くの」と言われるのがイヤだから、今日はお出かけができない日。仕方がないから、「納め札」についての論文をまとめていた。
納め札のルーツは、修験道の行者さんたちが、山に入るときに、「こういう者が、何月何日から、お山に入りますよ」ということで、山の神や不動明王さんらに許可をもらうための「碑伝(ひで)」を打ったのが始まりだという。それが、それぞれのお寺や神社に「願文」を付けた札を打つようになったとか。
現存する最古の納め札は、板東の足利氏ゆかりの寺「鑁阿寺(ばんなじ)」にあるもので、暦応二年(1339)という室町時代のものとされている。西国三十三観音霊場では、文安五年(1448)、秩父霊場では天文五年(1536)などが有名なもの。ちなみに、四国霊場最古のものは、慶安三年(1650)で、四国霊場58番札所の円明寺にあるものとされている。
こうした古い納札が残ったのは、金属の銅板を使っていたためである。その後は、木製の板になっていくが、それは費用がかかるし、重たいためであった。そこで軽い紙札になると、ほとんど残されず、「札あげ」という「おたきあげ」されてしまって残らなくなってしまった。そこで着目されたのが民家に残る「俵札」「納札俵」であったという訳である。
着々と、お勉強の方は進んでいる感じ。
来週の天気予報を眺めて見たが、そんなに寒くはならない予想。今年は肺炎にもならずに済みそうだなぁと思うし、今年は雪らしい雪にも遭わず、冷たい木枯らしにも吹かれずに暖かくなりそうな予感。
とにかく、三月一日の展示会オープンが当面の目標。あと九日ほど。忘れ物はないか、残した仕事はないかという思いが募る。あれもやったし、これもOKだしと・・・。
昨年は、山頭火の句碑を探して走り回っていたのだけれど、今年は探し回るものが見つからない。狛犬は終わったし、鳥居や宝篋印塔は面白くないし、マンホールや橋の親柱も飽きてしまったし。ダムやトンネルも見て回って済んだし、廃校巡りも鉄筋コンクリートの校舎は面白くない。ベーハー小屋(葉タバコ乾燥室)も回って済んだし・・・。はてさて、今年は何を探そうか・・・。
とにかく、三月中に何かを見つける用意をしておかなければ。
今日の掲示板はこれ。「いちばん身近な人のおかげが見えないようでは幸せにはめぐりあえない」という町内の善楽寺さんの掲示板にあった東井義雄先生の言葉から。東井先生が二十五歳の時、ある児童の質問のおかげで、自分の力で生きているつもりだったが、生かされて生きていたことに気付かれたそうだ。これが東井先生の第二の誕生であるといわれている。これを機に、ものの見方が変わった先生は後年、「同年輩や若い後輩の先生方にずいぶん育てて もらった。」「人格、識見、実力ともに抜群な教頭先生に恵まれ、ゆるしてもらいカバーしてもらったおかげで(三つの学校の校長として)勤めることができ た」と述べられている。また、いくつかの書物でも身近な人の恵みを語っておられる。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。