さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で雨が降っている。気温は13度から25度、湿度は90%から66%、風は1mから5mの西の風が一時は強かった。明日の8日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
今日は「花散らしの雨」になると言うてはいたが、雨は小粒で降ったり止んだりを繰り返しているし、風だって静かでおとなしい。桜吹雪になるような雨でも風でもなかった。
今日は「迷犬ごん」の狂犬病予防注射の日。みんなの前でそそうをしてはいかんので、朝の散歩を入念にやっておく。「雨の日はいやだなぁ・・」と、しぶしぶの散歩になった。足が濡れるのがいやみたいだが、犬用の長靴を用意するほどでもない。
注射されても平気、よその犬がいても平気。認知が進んできたのかもしれない。
今年は黄色のプレートになった。3歳でやってきて12年になるので、人間ならば15歳になるんだろうが、犬はずっと歳をとるというらしい。最近は犬小屋で寝てばかりいるが、相当のお年寄りなのかも知れない。
昨夜もわらび料理だったのに、今日もわらびを採っておけという。毎日、わらびばかりは勘弁して欲しい。
もう、わらびもおしまいみたい。タラの芽はこれからもどんどんと伸びそうだが、これまた、毎日になると、「もう、けっこう・・」と言いたくなってくる。
タラの芽も、こんなに大きくなってきた。
「介護センターの横で、ご夫婦がタケノコを掘っていたので、うちの山も見て来てよ・・・」と、仰るのだが、タケノコなんぞ、あるものか・・・と思いながらやってきた。これは、山猿がかじったもの。イノシシは地中にあるおいしいところを食べてしまう。サルは地上に出た部分だけを折って食べる。もう、サルの時期になったのか。
これがイノシシの掘って食べた跡・・・。イノシシが飽きた頃にサルがかじって食べる。サルが飽きたら、今度は人間様の口に入る・・・。
これはサルが折った後の根っ子部分を掘ってきた。今は、こういう時期・・・。
ところが、サルが見逃したものが見つかった。こうして地上に出たものはイノシシは口にしない。おいしくないかららしい。サルは自分では穴を掘れないので、地上に出た部分を折って食べる。
で、どうにか、タケノコが食べられそう・・・。
今日の掲示板はこれ。「散る花や すでにおのれも下り坂」という小林一茶の俳句から。一茶の人生観の一端を垣間見るような句である。この句を読みながら、つくづくと感じるのは、自分の感性を高みに置かず、取るに足りないひとりの人間として、花を傍観して得た素直な感情を、句にしていることである。人間は死への存在であり、死を意識する動物である。しかし、普通に考える死は単なる知識であり観念である。しかし、それが現実の自己にかかわる死ということになってくると、そういうわけにもいかなくなってくる。「散る花やすでにおのれも下り坂」不安を隠しきれない句に読める。「白露やいつものところに火の見ゆる」秋の露ははかなくも消えるもの。「いつものところ」とは在所の火葬場のことであろう。「火の見ゆる」とは人を焼く火であろう。なんとなく寂しい人生のたそがれ、死を間近にした心境である。一茶が晩年とくに信心深い生活を送ったと聞いているが、それは人間的な価値が、いかにむなしいかを知っていたからだと思われるのだ。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。