さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12.3度から25.3度、湿度は93%から45%、風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。
今日も五月晴れの良い天気になった。だから、朝の散歩は6時半から40分ほど歩いて来たが、汗も流れず、いい散歩になった。迷犬ごんの散歩はそれからになった。
朝の涼しい間にお勉強。昨日、県立図書館で借りて来た研究論文集を「自炊」する。こうした調査研究論文は資料やデータ、画像が多い割には本文が少ない。だから自炊にはありがたいことだ。よそさまの画像データや数値の羅列は必要ない。本文だけで充分なのだ。
10時になったのでお出かけをすることにした。今日は所属寺院「勝覚寺」の春の永代経法要の日であるが、その前に、「小砂(こざれ)説教所跡」にある庄松同行のお墓に寄ってみた。
ここが、「小砂説教所跡」、今でも「正真講本部」というのだろうか。ここを、正式にはどう呼ぶのか確かめたことはない。「庄松同行墓所」とも、「正真同行墓所」とも「小砂説教所」とも、「正真講本部」とも呼んできた。
これが、小砂説教所の内部である。正面には本尊阿弥陀如来立像。ここで、皆さん、合掌礼拝・読経される。あと、左三間は庄松さん関連の品物が展示をされている。詳しくはここにお参りしてご覧あれ。
午前11時過ぎにお寺に入った。今回も兄弟子の弘昭さんが見えない。お仕事が忙しいのか、体調を崩されたのだろうか・・・。先日には電話料金のことについて電話をくれた時には元気そうだったのだけれど。
正午に、法要が行われるという意味の梵鐘を英海さんが打つ。
鐘楼脇の菩提樹に小さな蕾が付きだしている。菩提樹は中国原産の落葉高木で高さは10mほど。花期は6-7月頃で淡黄色の花を咲かせる。我が国へは、臨済宗の開祖栄西が中国から持ち帰ったと伝えられており、日本では各地の仏教寺院によく植えられている。お釈迦様が菩提樹の木の下で悟りを開いたとして知られているが、お釈迦さまの菩提樹は本種ではなくクワ科のインドボダイジュ(印度菩提樹、Ficus religiosa)のことらしい。中国では熱帯産のインドボタイジュの生育には適さないため、葉の形が似ているシナノキ科の本種を菩提樹としたと言わているらしい。
鐘楼と松の木の間に見えるのが菩提樹である。またシューベルトの歌曲集『冬の旅』第5曲「菩提樹("Der Lindenbaum")」に歌われる菩提樹は本種ではなく近縁のセイヨウシナノキであるとも言われている。
法要は13時半少し前に始まった。今日の導師は英海さん。
ご法話は高松市西植田町の勝名寺住職の柴田先生。春の永代経は柴田先生と決まっているらしい。
今日は「仏教史」のようなお話になった。案外と知っているようで忘れている仏教史。復習をするような気持ちで、みなさん、頷きながら聞き惚れていた。
ご法話の間の休憩時間。
「親のうち(家)じゃ。何の遠慮がいるもんか・・」と、庄松さんは言うたけれど、信心が少ないのか、なかなかに本堂でいねむりはできても、横になってくつろぐことはできない。
今日の掲示板はこれ。「お経の一文字一文字は、人間を救わんと語っているの言葉です」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあったものだと記憶している。今日の柴田先生のお話でも「スートラ」、「修多羅」のお話があったが、経典を書いた板を結んだ「縦糸」が「スートラ」らしい。それが転じて「スートラ」=「経典」となったのだとか。
庄松同行は、意地悪な坊さんに、難しいお経を読めと言われて、「庄松、助くるぞよ、庄松助くるぞよ」と呼んだという。大無量寿経の下巻という、難しい経典を読んでみろと言われて、庄松さんは、「庄松を助けるぞと書いてある」と平然と答えたのである。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。