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Channel: まほろば自然博物館
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ひまわりも うなだれている 午後である

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みらしいので暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるよう呼びかけている。気温は26.5度から36.0度と今期最高気温をマーク、湿度は96%から54%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。暦の上では立秋を過ぎたが本格的な暑さはこれからみたい。明日の9日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今年6月19日(日曜日)に、綾川町に「綾川町主基斎田(すき・さいでん)記念館が落成した。綾川町主基斎田記念館は、綾歌郡山田村が大正4年の大嘗祭(だいじょうさい)の斎田に選ばれ、新穀を供納(くのう)してから100周年を迎えられたことを記念して建設されたもの。

 

 主基齊田とは、天皇即位式典の大嘗祭(だいじょうさい)に供奉する新穀を栽培する田を斎田という。斎田には、主基(すき)と悠紀(ゆき)の2カ所が決められるが、京都から東を悠紀、京都から西を主基と呼んでおり、先の大正天皇の即位にあたり、香川県綾歌郡山田村(現在の綾川町山田)に主基斎田が勅定された。

 

 1914年大正3年)2月、宮内大臣から、「来ル11月13日行ハセラレルベキ大嘗祭の斎田ハ香川県ヲ主基ノ地方ニ勅定相成候・・・」の通知が知事にあ り、これに基づき知事は斎田及び斎田奉耕者を決定した。奉耕者は、選考の結果、山田村の岩瀬辰三郎氏に決定した。県、村、奉耕者がこぞって準備をしていた ところ、4月11日、昭憲皇太后の崩御により即位の大礼、大嘗祭は延期となった。関係者は大変驚いたが、その状況は「県民ノ失望限リナク就ク奉仕者ハ落胆 ノアマリ遂ニ発病スルニ至リ・・・」と文書に残されている。その後斎田はそのまま存置と決定され、1915年(大正4年)に実施される事になった。同時に 「斎田作業行事予定」が決められた。

 

 この記念館では、当時の大嘗祭や主基斎田に関する大変貴重な資料が展示されているほか、昨年6月に秋篠宮同妃両殿下のご臨席を仰ぎ、盛大に開催された主基斎田100周年記念式典の様子などが映像により紹介されている。また、小学生の農業をはじめとする校外学習の場としても活用されることになっている。

 

 このお田植え祭りは、大正時代の衣装、作法そのままに今も行われていて、大勢のカメラマンや報道関係者や一般の見学者などが押し寄せている。

 

 服装は規則できびしく定められているようで、どこのお田植えまつりでも似たような服装になっている。

 

 人数も35人と決められていて、農業経験があり、健康で品行方正な者・・・等と決められている。

 

 これが、地ならし(耕運作業)の役目を担った「千代号」で、金の刺繍の入った飾り紐をつけている。齊田近くにお墓が作られている。齊田は神聖な場所であるので、作業中に糞尿をしないようにしつけられているが、万一の場合に備えて柄杓を持った若者が付いて歩いていた。

 

 主な行事は「5月27日 田植」、「9月18日 抜穂」「10月10日 籾摺」、「10月11日 精白」、「10月16日 供納米、県庁を経て京都に出発」、「10月18日京都着」と4月18日から10月18日の間を52項に分け詳細が定められている。また、この主基斎田を実施するための経費は、当時の金額で、県費15,552円、郡費1,913円、村費2,677円、奉耕者678円で合計21,820円となっていた。これは当時の平均月給30円に比べ 大きな経費であった。

 

 齊田で作られた御用米は四石(1石は150Kg、180l、米2.5俵)、600Kg、米10俵が京都の御所に送られたという。このたび、天皇陛下が生前退位のお話をされたが、新しい天皇が即位されたら、やはり、同じように大嘗祭が執行されるのだろうか・・・と、ふと、思ったことだった。

 

 最近、ヤモリをよく見かけるが、このヤモリはいつもいつも下を向いている。この後、飛んできたアブを一瞬のうちに口で捕まえた。やはり、重力を利用して上から下へ下りるのが早いんだなぁと、じっと見ていたものだった。

 

 この、オニヤンマも柱にしがみついていたヤブカを一瞬のうちに捕まえて食べてしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「あるがままに生きる ないがままに生きる」という荒了寛さんのカレンダーの中のことばから。全てのものは、ああしよう、こうしようという主体性をもって生まれて来たわけではなく、「自然に」生まれて来たのである。全ての対象は自分も含めて観察するべき対象というよりも観察されるべき対象と言えるかもしれない。観察できる主体はどこにもない。あると思っているだけである。日本人は自然にまかせて、 あるいは自然と同化してあるがままに生きるということを脈々と実行してきたのではないだろうか。また日本文化に大きな影響を与えた仏教の縁起説では(物事の発生と展開)において、全てのモノに「自性がない」ということがある。そんな難しいことを言わなくても、あるだけの食材で生きる。なければないで、なんとか食べて生きるのである。今の現代に於いては、なかなかに、こういう生き方は難しいのだが、要するに「財布の中身と生き方」とは関係するように思う。財布の中に余裕があれば、「あるがままに生きられる」し、財布の中身がさみしくなれば、「ないがままに生きる」しかない。わが家の今月もまた、「ないがままに生きて行くしかない」のである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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