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Channel: まほろば自然博物館
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新しく 夢を踏み出す 萩の花

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇りで、夕方まで雨の降るところがあるらしい。気温は25.4度から29.4度、湿度は93%から74%、風は2mから5mの西の風がやや強かった。明日の30日は高圧部となり晴れる見込みらしい。

 

 朝方はすさまじい雷鳴と豪雨で賑やかだったが、だからと言って私たちではどうにもならないので、ただ、ふとんにくるまっているしかなかった。時の過ぎるのを待つだけである。

 

 迷走台風の影響なのだかどうか知らないのだが、まぁ、四国にすればありがたい雨ではあった。でも、四国の水がめ、早明浦ダム上流では、そんなにも雨が降らなかった様子。

 

 夜が明けると雷鳴は聞こえなくなり、雨も小降りになってきた。

 

 さて、八月のお仕事も片付いたので、秋の文化祭に向けての「夏休みの自由研究」のスタートである。その第一弾として、この俵である。これが、高松市文化財保護協会の中島先生が担当している「飯田家の俵札調査」。

 

 この俵札は、86番札所の志度寺さんから87番札所の長尾寺さんに向かう遍路道のちょうど中間地点にある桃農家の飯田農園(オレンジの星印)さんが保管していた俵である。

 

 この俵札の中に収められていた紙くずを整理したものが「飯田家俵札」で、納め札は1073枚であった。担当の中島先生は正規の調査を実施し、整理段階にあるらしいのだが、側面からその調査のお手伝いをするもの。

 

 手書きが861枚、版刷りが148枚、版刷り+手書きが18枚、印刷が23枚、印刷+手書きが23枚という結果だった。やはり、江戸時代後期のものは筆文字による手書きであった。江戸時代後期では文字の読み書きのできない者が多かったという予想よりも、達筆な筆文字が多く、その上手さに驚いたものだった。

 

 飯田家のものは、文政13年(1830)から大正7年(1918)までで、第一次ピークが天保12年(1841)、第二次ピークが明治38年(1905)であった。第一ピークは、有名な天保の大飢饉の直後で、食べられなかった農民が大挙して四国に流れ込んだことを証明している。第二ピークは、日露戦争後、肉親や知人友人らの供養のためであった。

 

 今日のお昼は「白熊君」。中にいろいろと入っているのが邪魔だった。あっさりとしたものがおいしいと感じる年になったのかも知れない。

 

 出身地調査でも、香川・徳島・愛媛や対岸の岡山・広島・京阪神の兵庫・大阪・和歌山が多いのは、どの調査でもにたり寄ったりである。

 

 ま、こういうデータを集めて整理をして一冊の本にまとめる作業である。私の「田淵家調査」は終わっているので、この「飯田家」と「寒川家」の三つをまとめたら大作になりそうな気がする。

 

 午後からはミンミン蝉が鳴き出してきたし、青空も広がってきた。いよいよ、八月もおしまいに近くなって、秋らしい空気が流れるようになってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「「思えば叶う」そうなりたい そうなると信じる そうなるように努力する そうすればそうなる」というもの。車が欲しいと思えば貯金をする ローンを組む、そうすれば車にも乗れるようになる 家が欲しいと思えば貯金をする ローンを組む そうすればマイホームも手に入る。「そうなりたい」という「願」と、そうなるように努力する「行」とが揃ってこそ、「願行具足」でものごとは成就する。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。 


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