さぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇りっていた。気温は26.4度から32.2度、湿度は90%から80%、ねっとりとした湿気がまとわりつくような気分だった。風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の29日は、引き続き湿った空気の影響で概ね曇り、午後は雨や雷雨となる所があるらしい。
今朝もねむたいような、おなかが張るようなだるい気分の朝になった。血圧も若干、高めだった。
昨夜は父の47回忌の祥月命日のおつとめだった。で、来客は三男の「たっくん」一人になった。平日の仏事ではお仕事に出ている人は参加できないのも道理だ。
だから、私たち夫婦と、弟の三人だけがおつとめをして、三人だけの会食になった。
17時からのおつとめ、17:30からの会食、18:30からのカラオケ・・・。三人だから、回ってくるのが早い・・・。
これが22時まで続いたのだから、よく歌ったものだった。で、バタンQ・・・で寝てしまい、目が覚めたのが5時半。弟はすぐさまに帰って行った。
外は蒸し暑いので、室内でパソコン作業。例の「俵札」の調査報告書の作成をやっている。屋根裏にあった黒ずんだ俵の中には、さまざまな紙切れが入っている。これは、農会の品評会への出店心得・・・のようである。大正七年には、まだ、農協さんはなかったのか。
大正七年というと、まだ、そんなに大昔ではない。それなのに、こんな難しい野菜の名前があった。ま、牛蒡は見たこともあるし、日本語辞書にも残っているが、「だいこん」や「にんじん」では、こんな難しい文字は出て来ない。
この「かぶ」も、「さつまいも」も、「たいも」も見ない文字である。それだし、こんな文字は辞書にはないらしい。「たいも」も死語なのか、私の辞書にはない。「里芋」のことだろうか。わずか、99年前なのに、文字も大きく変わったみたい。
今日のお昼は、昨夜の宴会の残り物と、このスイカ。昨日が「スイカの日」だったように思うが、そんなことを忘れて騒ぎ回っていたものだった。
権現信仰・・・ということで、今日は「剣山大権現」と、「石鎚蔵王権現」のことを調べていた。
こういう信仰は、噂に聞く程度で、全く未知の文化。すごい信仰があるものだと関心するばかり。
これで、権現信仰の部はおしまい。さて、明日からは、その他の「神符」や「護符」に入ろうか。
今日の掲示板はこれ。「時が来ればお返しせねばならぬ 財産も借りもの 命も借りもの」というもの。 人の命はいつかは尽きる時が来る。それは誰しも理屈ではわかっていることだろうが、俺は死んだ後にも財産を持っていくぞと言わんばかりに金を稼ぐことにあくせくしている人がいる。地獄の沙汰も金次第だとうそぶく人もいる。しかしのかかし、人は裸になって死んでいかねばならない。「無常たちまちに至るときは 国王大臣親じつ従僕妻子珍宝たすくる無し ただ独り黄泉に赴くのみなり」と『修証義』にあるとおり。大臣になろうが、資産家になろうが、それはこの世の中でしか通用しないもの。だからこそ「相続」とか「継承」という概念があるわけだ。逆にいえば、貧しくても、出世しなくても、何も悲観する必要がないというもの。その人はその人なりの花を、この世で咲かせることができれば、仏さまのものさしで言えば、「一所懸命に生きた、素晴らしい人生」なわけだ。だから、明るく、気楽に生きたいものである。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。