4月23日(月曜日)曇り 109-45-60 36.3 99% 62.55Kg
相変わらず、1時間ごとのトイレタイムで起きるものの量はそんなに多くない。ぐっすりと寝て、朝方に一・二回・・・というのが理想的だが、病院だとこうなってしまう。看護師の歩く音や患者さんのうめき声や物音で、ついつい目覚めてトイレに向かうという感覚。
朝から、今日は外出だということで気分は明るく軽やかだった。朝は胸部X線検査があったので、9時半過ぎに受けてきた。その後、着替えて外出手続き。すでに届は出してあって、主治医の許可をいただいて・・。10時前には病院を出て、いったん、我が家に戻り、山頭火の資料を用意して・・。みれば、弟のよっくんがタケノコを掘って持ってきてくれていた。そこでしばし歓談。
その後、前山のおへんろ交流サロンに向かった。着いたのは11時過ぎだったが、館長の六車さんや受付の秋友女史と雑談。一行は11時半過ぎにやってきた。女性三名に男性一名の四名という陣容。男性は運転手兼カメラマン。インタビューは女性のお姉さんが二人。あと一人は見習いみたい。
なぜ、ここに山頭火なのか・・ということから始まって、地元の俳人・砂井斗志男さんのお話から始まって、長尾町尾崎放哉顕彰会などのお話などに続いて・・・私のお話があって、句碑の管理や保護活動までに話は及んだが、そこまではフォローできない。こういう活動もやったらやりっぱなしになるのは仕方がない。高齢化と資金不足。指導者がいなくなると熱意も継続はしない。
私は、「上がり三か寺」の観光ガイドとして、山頭火の句碑やその周辺の歌碑などをお話するのが目的で、なぜ、句碑を建てるに至ったのかや、それを建ててどうしようと思ったのについては興味がない。また、75基にも及ぶ山頭火の句碑の面倒なんて見られるわけがない。それらのガイドをやってほしいと言われたらやることにやぶさかではないけれど。
取材は12時前から始まって13時時過ぎまで続いただろうか。取材を終えて、病院にもどった。担当看護師のなべさんが検査食を温めて持ってきてくれたし、介護アシスタントさんが身体拭き用のタオルも持ってきてくれた。今日は月曜日ということでシーツも布団カバーも交換してくれた。
午後からは、窓際に新患さんが入ってきた。心臓アブレーションのオペらしい。奥さんがつききりだ。私の時には奥方なんぞいなかったなぁと思いながら眺めていた。
夜は、その方も興奮していたのであろうか、落ち着きがない。だから、久さ久さに「眠剤」をいただいて寝た。
今日の掲示板はこれ。「大切なことはいまを生きること。人生はすべていまの積み重ねですから、いまをどれだけ大切にするかです」という平田静子さんの言葉から。平田さんは1948年、福岡県に生まれ、フジテレビに入社、扶桑社に出向、雑誌CAZ編集長を経て取締役、常務取締役などを歴任した。2010年に扶桑社を退職、同年4月に「ヒラタワークス」を設立し、幅広いビジネスを展開している。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。