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Channel: まほろば自然博物館
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芍薬を 切ったはさみが 濡れている

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 東かがわ市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は10度から19度、湿度は76%から50%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の11日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 これは白鳥病院のHPで見つけた昔の「しろとり病院」らしいが、ドクターによれば、当時は結核病院として設立されたとか。下側に国鉄の高徳線、その上に国道11号線が走っているから昭和初期のものかも知れない。関連の資料がないのでなんとも言えないのだが。私は、左上から右中央に流れる道路が旧国道で、ここをバスに乗って引田(ひけた)の町に向かったものだった。

 

 これが現在の写真で、下に見える道路が「旧国道」で、その上に、何段かの段丘が残っている。多分、その時のものと思われる段丘である。

 

 この部分であろう。今は山頂部は削り取られて姿は一変している。

 

 現在の航空写真である。うまく角度が合わせられなかった。なにせ、病院のベッド上でのお遊びである。

 

 私は、子供のころから、近くにあった「大川病院:現さぬき市民病院」に通い、成人してからは高松の日赤病院とか、わが社のNTT高松病院でお世話になったから、この病院のことは何も知らない。平成20年の冬、心不全で緊急搬送されたのがここだったもので、以来、ここでお世話になってきたが、そのころは、このような建物だった。

 

 ま、古い写真つながりということでこれ。女学校のようだが女学校ではない。昭和初期にのものと思われる写真だが、「手袋工場」の写真らしい。この町、東かがわ市の白鳥(しろとり)という町は古くから手袋産業の町として栄えてきた。

 

 明治時代の中ごろになると製糖業や製塩業が衰退し、それに従事していた人々は産業の衰退とともに、生活も苦しくなってきた。それとともに、歴代の高松藩主の手厚い保護と人々の信仰に支えられ朱印地として栄えた白鳥神社の門前町も、明治時代になると高松藩の保護がなくなるとともに特権もなくなり、その賑わいも失われつつあった。

 

 この現状を憂い、救済策を考えていた教蓮寺(東かがわ市松原)の住職楠正雄は、大阪で手袋製造を行なっていた棚次辰吉に相談し、教蓮寺境内で手袋製造を行なうことを決めた。明治32年(1899)に、技術の伝授や原材料の調達などは棚次辰吉が行い、資金は松原村村長であり塩田地主であった橋本安兵衛の出資により、積善商会(しゃくぜんしょうかい)が設立された。これが東讃地方における最初の手袋工場となったという。

 

 そのはじまりは、1888年、東かがわに住んでいた住職・両児舜礼(ふたごしゅんれい)と一人の女性との駆け落ちだった。現代のように当人同士の意思で結婚ができる時代ではなかった当時、2人は大阪へと移り住み、そこで生計を立てるために始めたのが手袋製造だったのである。

 

 その2人の事業を助け、拡大していくために、従兄弟の棚次辰吉らが経営に加わり、1892年、両児舜礼の病死後も、棚次辰吉がその意志を継いで事業を続けていくことになるのだった。

 

 東かがわ市の手袋づくりは、明治21年(1888)に両児舜礼がメリヤス手袋を製造したことを始まりとしている。その後、棚次辰吉が最初の手袋会社「積善商会」を設立し、本格的に経営がなされた。大正3年(1914)に勃発した第1次世界大戦特需で、香川県松原村(東かがわ市松原)出身者を社長とする大阪手袋株式会社と東洋手袋株式会社が相次いで設立され、産業としての基盤が確立した。次第に手袋産業が東讃地方の主要産業として発展してきたが、太平洋戦争中の戦時体制によって繊維統制が敷かれ、多くの企業が整理統合され、その発展が阻まれこともあった。しかし終戦後、昭和20~30年代には高度経済成長の波に乗り、ついに世界一の産地であったアメリカ合衆国を抜き、当地が世界一の手袋の産地となったのである。

 

 昭和63年(1988)には手袋産業100年を記念するハンドピア‘88手袋百年祭が行われ、更なる100年へのスタートを切っている。その後、いわゆるバブル景気の崩壊による長期不況や気象温暖化に対処する新技術・新商品の開発に努め、一方ではグローバル化に対応した海外生産体制の確立を図り、新しい地場産業としての環境整備がなされてきた。こうした努力により当市の手袋産業は、全国的なシェアを維持し続けている。これは多くの先人たちの努力や苦労の賜物といえるだろう。

 

 今日の掲示板はこれ。「他人がやると大悪党にみえるが、自分がやった時は必ずやむをえぬ事情がある」というもの。出拠・原典は不詳だが、「あの人、あんなことをやってる・・・。悪いヤツやなぁ・・」と思うことは多々あること。マイカーの灰皿をコンビニの灰皿に捨てて平然としている人とか、よさまのお墓を靴のまま、踏みつけたり蹴飛ばしたりして、さも、あたりまえのような顔をしている人とか・・・。でも、それが自分だったら、「これはこうだから、こうしたんだ・・」と、確かにやむを得ぬ事情らしきものを並べ立てる筈。自分さまが社会を汚し、世間を暗くしていることなどには気づきもしていないものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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