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汗のまま 黙祷礼拝 原爆忌

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 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26.9度から35.7度、湿度は90%から62%、風は1mから2mの北北西の風が少しなかり。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みらしい。暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるように。明日の7日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みなのだとか。

 

 今日は8月6日、広島原爆の日。どの新聞紙面も「原爆の日」と高校野球と土砂災害などでいっぱい・・・。

 

 唯一、地元の四国新聞にはこのような記事があった。

 

 このときのものである。向かって右の女性が、お墓の主、航海士官候補生レイクさんの遠縁にあたる子孫の方。左の男性が、このお墓を建てた「岡良伯」さんのご子孫の方。このお二人が献花をした時のもの。お二人とも遠路はるばるとおいでてくださった。

 

 さて、今日も讃岐路は猛暑日。おまけに朝方は湿度が高くて蒸し暑かった。でも、今日は帰らないといけないので、早めの朝食を食べ、室内の片付けをしておく。来週の14日から神戸の大学生十数人がやってくるらしい。冷蔵庫の中もからっぽにして、ゴミも空き缶も片付けておく。

 

 今日のさぬき市は猛暑日。丸亀市だって猛暑日だった。

 

 さて、このレキの墓記念碑は当初は小さな、安い石に「絆」という文字を刻むつもりだった。単に150周年記念のつもりだった。それが英国在住のレキ研究家のトーマスさんが、フランク・トーベィ・レイクさんの事実を書き込んだ。それを石屋さんが島の石、青木石で立派なものにしてしまった。私たちの会はお金なんぞ持っていないので、トーマスさんが費用を負担したとか聞いた。

 

 これがトーマスさんの碑文である。しかし、どこにも「レキ研究会」とか「トーマス」さんの名前もない。

 

 これが岡田さんが訳した日本語の碑文である。

 

 ものはついでに、こちらが、英国大使館の駐日英国大使・ポール・マデン氏からの感謝状である。最初の感謝状は、明治9年にシルビア号のセント・ジョン艦長から頂いたもの。二番目に、明治32年に、英国大使のアーネスト・サトウ氏からいただいたもの。これが三度目の感謝状になる。

 

 こちらが岡田さんが訳された日本語文の碑文である。岡田さんというのは歴史研究家のトーマスさんの奥様で、この丸亀市広島町青木浦出身の方である。あの、サンフランシスコで亡くなった、咸臨丸乗組員の「岡田源之助」のご子孫かどうかは知らない。

 

 ものはついでで、この記事もここに格納しておく。もう、ミッションが完了したのだから、すべてのドキュメント類は焼却してしまうからだ。

 

 ガスの元栓を閉め、室内の掃除を済ませて、8時35分発のフェリーボート「しわく丸」に乗って、私と弟は島を後にした。今度は10月の秋祭りの頃だろうか・・・。

 

 昨日の喧噪とは打って変わって、静かで人影もない丸亀市広島町。私の中で、大きな一つのミッションが完了した。明日からは普通の寡黙な無職のご隠居さんに戻るはずだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「忘れざることが供養や原爆忌」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。今日は八月六日。今日の掲示板は決まってこれ。「忘れざることが供養や原爆忌」というもの。原爆を、被爆を、戦争体験を、風化させることなく伝えていくことこそが、先人への礼儀であり、供養であるというのである。今年で73回目の原爆の日、私の記憶も風化しつつあるが、若い頃の広島の暑い一日を改めて思い出しながら黙祷をしたいものである。

 

 じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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