さぬき市地方は気圧の谷の影響で、雨が降っていた。気温は5.5度から7.1度、湿度は84%から78%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の13日は、高気圧に覆われるため、概ね晴れる見込みらしい。
115/64-59 36.3c-97% 61.8Kg 1018hPa,6c,44% 数字的には変化がない。体重は尿の量と飲んだ水分量の変化に関連するみたい。
今日の朝食はわかめスープとみかん一個、お菓子はポチに食べさせた。
そろそろと準備だなぁと、確定申告の医療費控除の準備をやっていた。昨年は医療費が多かったからなぁと試算してみたが、保険金が驚くほどに振り込まれていて、そんなに期待するほどでもないみたい。しかしのかかし、この保険金の入金をどうやって証明するんだろうか。振込通知の書類など保管していないのに。
医療費は、病院などの領収書はちゃんと保管しているので証明できるのだけれど。こういう問題になると、さっぱりわからんようになってしまうのだ。それじゃあダメじゃん春風亭昇太。
それにだ、最も大切な、「源泉徴収票」が一枚もないのだ。これだけは大切なもので、毎年、気を付けて保管しているはずなのに、今年は一枚もない。困った困った駒澤大学。しまったしまったしまなみ海道。日本年金機構に相談しなくては。
今日は雨だから散歩もできないし、出かける勇気も出ない。そこで、昨日の続きの「さぬき市の石造物」の準備作業。スキャナーで資料を読み込んで電子化しておく。
地図だとか・・・、
標識だとかの基礎資料である。春になれば、これを基にして実物の写真を撮影に出かけようと考えている。
これは、旧へんろ道に残されている「日本廻国行者のお墓群」である。これも一基ずつ撮影することにしている。
表紙は早くも出来上がっているのだけれど。
昨年の今日には、このように雪が降っていたのだけれど、今年は暖かいせいで雨になっているのかも。ま、このあたりでは雪はごめんだけれども。
今日の掲示板はこれ。「生かさるる いのち尊し けさの春」という、町内の善楽寺にあったもので「中村久子」さんの句である。中村久子さんは、1897年、飛騨の高山で誕生し、三歳のとき突発性脱疽に罹り、両手両足を無くされた。中村さんは、その障がいの事実を真正面に引き受けて、人権意識が未成熟で障がい者への差別の厳しい、生きていくのも非常に困難な時代を、女性として、母として、そして何よりも一人の人間として72年の生涯を生き抜かれた。晩年詠まれた「手足なき身にしあれども生かさるる今のいのちはたふとかりけり」に、自己の「身の事実」を機縁として、真実の世界に目覚めていくという、中村さんの心の軌跡が窺える。 春は、全ての「いのち」をはぐくみ、育てる自然の営みの尊さをひとしお輝かせて見せてくれる。中村さんは、その中に生をうけ、生かされている自らに気づかされ、その事実によろこばれたことと思われた。目覚めるたびに今朝も生きているとの確認は、生かされていることの体感であり、実感であったのであろう。その体感が苦難の中を精一杯生きる力となったものと思われる。「今日のことば(句)」は、新しい春を迎え、あらためて人間の存在の真実を考えさせてくれるものであろう。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。