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Channel: まほろば自然博物館
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ふきのとう とぼけた味の お茶である

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 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夕方まで強風や急な強い雨が降っていた。気温は10度から11度、湿度は86%から62%、風は2mから5mの北西の風が一時は強かった。明日の8日は高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 114/58/59 36.0c-95% 61.6Kg 1008hPa,10c,64% 体調に変化はない。

 

 朝の間、雲の間から晴れ間も見えたので、近くにある、香川県営大川ダムに行ってきた。間もなくすると、このような満開の桜が見られる場所だった。カード右上の「FN」は、F:洪水調節 N:不特定用水・河川維持用 という意味で、右下のG は、「重力式コンクリートダム」の意味である。

 

 でも、まだまだつぼみは固く、開花するそぶりすらなかった。 

 

 とうとう、印刷用紙がなくなったので、印刷用紙を買ってきた。この一箱が10.8Kgもあって、今までは持ち運びができないので、古い用紙や残っていた用紙などを使っていたものだった。

 

 それがどうだ、一年半ぶりに持ってみたら持てるではないか。それも、二階までの14段の階段をのぼって来られたのである。少しずつ、少しずつの回復ぶりではないか。それも息切れも動悸もなくてだ。

 

 家に帰ったとたん、春の嵐のような雨が叩きつけるように降ってきた。

 

 この前から、気になっていたのだが、私のブログ、「まほろば自然博物館」だが、訪問者はそんなに変わらないのだが、閲覧数が異常に多くて重たい感じになっている。昨日の数字だが、訪問者数は354IPで、閲覧数が2,377PVとなっている。この数字が、6,000とか8,000にもなることがある。

 

 調べてみたら、「クローラー」というものが動いていることがわかった。クローラー(Crawler)とは、Googleなどのロボット型検索エンジンがWEB上のファイル(HTML文書だけでなく、画像・PDFまで含む全般)を収集するためのプログラムのことらしい。クローラーによって収集されたデータがインデックス化され、巨大な検索データベースが作成される。別名「ロボット」「スパイダー」などとも呼ばれているらしい。

 

 Googleが持つクローラーには用途に応じて複数のクローラーがあって、例えば通常のWEB検索には「Googlebot」、画像検索には「Googlebot-Image」、モバイル検索には「Googlebot-Mobile」といったように、様々なクローラーが存在する。だから、「俵札調査」と、ググってみたら、私のブログ上の画像がずらずらと表示されたりする。

 

 最近、多いのが、この、「Bingbot」である。昨日は、Bingbot が1,112pvで、IE6.xが558pv,googlebot が352PVだった。Google・Bingなどのロボット型検索エンジン本体(データベース)から派遣された「検索エンジンロボット(クローラー)」は、リンクを元にページからページへ、サイトからサイトへ“クロール”する。この時、新しく発見(もしくは更新)したページを検索エンジン本体(DB)へ“インデックス化”(または“キャッシュ更新”)し、サイトを外部要因・内部要因で評価付けをしていく。Googleの検索エンジンロボット(クローラー)をGooglebot、Bingをbingbotと呼ぶらしい。だから、更新頻度が高いほど、これらのロボットがやってくるらしい。

 

 モバイルからは、Android が半分以上、iPhone/iPod が次いでいる。iPadも少しある。Safari は Mac のアプリで、50IP程度の訪問がある。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に「余生」などない 「与生」である」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。「定年まで勤め上げたので、余生はノンビリ過ごしたいものです」などという言葉を聞くことがある。 ところで、余生ってなんだろうか。人生の余った生ということなんだろうか。道元禅師は、「正法眼蔵」生死(しょうじ)の巻の中で、「生を明らめ、死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」と書かれている。一生をかけて求めていくテーマ「生」に余るところなどないなずなのだ。徳川光圀も「人生に余生などないぞ!」、こう言い放った一人である。一方、「与生」とは、与えられた生命(いのち)という意味である。私たちは、自分ひとりの力で生きているのではなくて、両親から生を享(う)けて、多くの人たちの愛情と善意によって生かされている存在なのである。水も空気も太陽も、自然の恵みにより与えられている。「与生を生きる」とは、そのことに感謝して生きるということ。感謝をして生きる上で最も大切なことは、今まで与えられてきたのだから、これからは「与えて生きていこう」という考え方でもある。「与生」とは、与えられた生命であるということに感謝して生きるだけではなく、与えることに喜びを見出していこうとする考え方でもある。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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