さぬき市地方は、久々に夏が来たかのように晴れていたが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇ってきた。気温は22.5度から27.3度、湿度は86%から76%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の17日の香川県は、梅雨前線が北上してくるため概ね曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。
103/58/58 36.4c-98% 63.6Kg 1010hPa,25c,78% 体調に変化はないが、健康体ではない。少し動くと呼吸が乱れるし、身体がなんでだか重たい感じがする。
今日は7月16日だからと志度寺さんにやってきた。ここは四国霊場八十六番札所でもあるが、お遍路さんの姿はほとんどない。
今日は、ご本尊十一面観世音菩薩と両脇士のご開帳の日だというのでやってきたのだが、お参りの人はごくわずか・・・。10時になったので本堂に入ったときは、わずか3人だけだった。
10年前までは、このような「十六度市」というものが行われていて、農具市や植木市、お菓子やおもちゃなんぞの出店があった。それがやまってしまって、今日が十年目だということだった。趣味の多様化や娯楽の多様化、農具の変遷や少子高齢化なんぞのさまざまな事情が重なってのことだろう。
それでも、10時からの法要が始まってみれば、バラバラとお参りの人が増えてきて十数人にはなっただろうか。でも、これでは露天も商売にはならんかなぁと思った。
これが本尊拝観の記念品である。ミサンガのようなものは「金剛線」と呼ばれるもの。
本堂内は「撮影禁止」のために、これはネット画像から。というか、数年前までは撮影可能だったのだが、一昨年あたりから、設備保護のために・・ということで、内陣への拝観も中止になった。開帳は同寺に伝わる「海女の玉取り縁起」にちなみ、藤原不比等の妻である海女の命日とされる旧暦6月16日に合わせて毎年実施。本尊は像高146センチのヒノキ材の一木造りで、脇侍の不動明王像、毘沙門天像とともに国の重要文化財に指定されている。
これは、本尊裏手側に描かれた阿弥陀如来坐像である。この日には、小豆島からも大勢の参詣人が船で押し寄せてきたので、その目印に、裏の扉を開けば、この阿弥陀さまがお迎えしてくれるという仕組みだった。
今、この扉を開いても海は見えず、小豆島も見えなくなった。ましてや、小豆島からの参詣人なんぞいなくなってしまった。
こちらが「閻魔堂」で、ここも扉を開いていて特別開帳が行われていた。
ここの閻魔さまは、頭上に「十一面観音」を載せている特殊なもの。16日は午前10時から法要が行われ、開帳は16日が午前11時~午後4時、17日が午前10時~午後1時。拝観料500円。両日は県有形文化財の閻魔(えんま)堂と奪衣婆(だつえば)堂も公開する。
こちらが奪衣婆(だつえば)堂で、ここも公開されている。
奪衣婆は、三途川で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼。脱衣婆、葬頭河婆、正塚婆姥神、優婆尊とも言う。 多くの地獄絵図に登場する奪衣婆は、胸元をはだけた容貌魁偉な老婆として描かれている。奪衣婆が剥ぎ取った衣類は、懸衣翁によって衣領樹にかけられ、亡者の衣の重さにはその者の生前の業が現れ、その枝の垂れ具合で死後の処遇を決めるとされる。 奪衣婆と懸衣翁は、35日目の閻魔大王の裁判に陪席し、亡者が嘘の申告をできないようにしているのだそうだ。
今日の掲示板はこれ。「針を踏んで痛む足が蟻をつぶして平気だ」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあったものだと記憶をしている。「クギを踏んで痛む足が、アリを潰して平気で、身勝手な被害者」というものが出拠だと思う。「アリを踏まずになんて、そんなことをいちいち気にしていたら 歩けない。それは仕方がないことだ」と思うものだが、その「仕方がない」「しょうがない」という自分の思いこそが、自分を正当化し、自分を中心にしてしか 物事を受け止めていない自分の身勝手さの象徴ではないかと言うているのである。人が生きるということは、多くのつながりの中に生きていて、他の人や動植物、自然にも迷惑をかけながら、しかも傷つけながら生きているのだということ、そういう自分の身の事実を見つめ直すことの大切さを噛みしめたいものである。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。