さぬき市地方は台風第8号の影響により雨となり、雷を伴う所があった。気温は28度から29度どまり、湿度は86%から78%、風は5mから2mの東の風が一時は強かった。明日の7日は、湿った空気の影響で概ね曇り、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。
115/77/59 36.4c-92% 64.8Kg 1009hPa,24c,66% 体調に変化はないが、湿気がある分息苦しかった。
久しぶりに香川県立図書館で調べ物をしようと考えていたのだが、朝から雨ではおっくうになった。「こんな嵐の日に出かけなくとも・・・」と、面倒くさがり屋の私がささやく。
それにだ、今日は広島原爆忌。
まずは、黙祷をしておかねばならぬ。
それに、台風八号・フランシスコの動きも目が離せない。
そうかと思うと不気味な「飛翔体」発射のニュース。
朝ドラをはさんで、今度は甲子園。
第101回全国高等学校野球選手権大会の開会式がある。まことに忙しい8月6日の朝である。
外は雨。何をする勇気も湧いては来ない。
そうそう、昨年は「英国士官レイク没後150周年記念イベント」が行われたなぁと、過ぎ去った過去を思い出すが、それ以上のことは何も覚えていない。
ということで、先月からやっている「お遍路はなぜ白い衣装を着るのか」という問題を整理していた。
というのも、このへんろ資料展示室の、このコーナーで、「おへんろさんはなぜ白い着物を着るのか」ということでお話をするとき、「死に装束です」とか、「いつ死んでもいいように白い衣装をするのです」とかと説明してきた。お杖は墓標になり、菅笠は天蓋になる・・という話にも通ずるからである。
しかしのかかし、古い絵や古い写真を調べてみても、そんな死に装束なんかでお参りはしていないのだ。
戦前まであった「娘遍路」だってきれいな着物姿でのお遍路だったし、
若者遍路だって「死出の旅」の服装ではない。つまり、お遍路さんは、白い着物や白衣なんぞは着ていなかったことになる。そういうお話をまとめようとしているのである。
今日の掲示板はこれ。「一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く 一本の鉛筆があれば 人間のいのちと私は書く」というもの。松本善三作詞 佐藤勝作曲 美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」という歌からである。朝日新聞の投書欄「声」にたびたびこの曲についての投稿が載っているという。時々、この歌は聞くことがあるが、改めて歌詞を読んでみて感激した。昭和49年8月9日の第一回広島平和音楽祭で実行委員長の古賀政男さんの プロデュースで書き下ろされたものという。 その後、昭和63年の第15回広島平和音楽祭でも歌っている。62年に福岡で倒れて緊急入院。63年4月の東京ドーム公演で不死鳥のように復活し(白いフェニックスのような衣装が印象的だった)、翌年2月からツアーを再開したものの、2月7日の小倉公演の終了後に倒れて、6月24日に帰らぬ人となった。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。