Quantcast
Channel: まほろば自然博物館
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3558

蝉の声 止んで静けさが 後戻り

$
0
0

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降っている所があった。気温は朝方はぐんと下がって23.5度から29度、湿度は86%から69%、風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の25日の香川県は、前線や気圧の谷の影響で概ね曇り、明け方まで雨の降る所があるらしい。

 

 116/78/66 36.4c-94% 64.2Kg 1010hPa,28c,76% 今年は夏もなく梅雨ばかりの半年間であったような気がする。

 

 amazonさんが、私に「買え」「買え」と言ってくる本があった。10円だからと思い切ってポチ!したらば、送料が350円で360円の本になった。おへんろ研究の本にはよく出てくる本だった。

 

 ところが、参考になるのは、この著者・西端さかえさんの衣装だけだった。昭和33年の写真らしいが、おばあちゃんのような印象を受けた。大法輪閣という出版社からの特派員として、四国霊場を歩いて調べて本に連載されたとか言う。この人は和装の白装束である。何を参考にしたのだろうか。持ち物には着替用として二着の白衣を用意していた。

 

 くれぐれも、くれぐれも言っておくが、お遍路について研究調査はやってはいるが、「お遍路が好きだ」とか、「お遍路をやりたい」とかという気持ちはさらさらない。あくまでも「観光ガイド」としてのお勉強に他ならないのだから。

 

 「ねぇねぇ~ガイドさん。おへんろさんはなんで白い服を着ているの~~」と言われて、「はぁ~、なんで?」と答えたら、チコちゃんに叱られる・・・・。

 

 これは、法衣なんぞの下に着る「白衣:はくい」である。しかしのかかし、西端さかえさんは、和装の白衣を着ておられる。つまり、白い着物である。これは何を意味するのだろうか。

 

 今日も今日とて四国遍路の衣装についてのお勉強。でも、ありきたりのお話しかない。

 

 私が不審に思うのは、和装から洋装に変わったのはいつ頃か。また、昭和33年頃にお遍路バスから洋装の白衣になったのだが、一般の方が、上着だけが白に変化したのはいつごろか。そのきっかけは何か。というようなこと。

 

 これも昭和33年頃のものだが、白い和装姿のおへんろさんである。

 

 一方、この人たちはお寺か講とかの団体さんらしく、衣装が統一されているが、なかなかに、ここまではそろわないもの。これは平成になってからのものらしい。

 

 今は、一般的にこのようなスタイルが多い。上だけ白い服を着ているようなもの。歩き遍路さんには多いスタイルである。

 

 今日の掲示板はこれ。「明日なきと 知るよしもなき 蝉の声」というもので、迫谷富子さんの「いろり」という俳句集の中の一句である。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。セミだけに限らず、犬もライオンも馬も鹿も、そして私たちも明日がないということを知るよしもない。私たちはうすうすとは「いつかは死ぬのだろうなぁ」とは知ってはいるのだけれど、それがまさか、明日だとは誰も考えていない。「この旅果てもないつくつくぼうし」と、山頭火も人生という旅がいつまでも続くのだよと、つくつくぼうしに語っているのだが、やがて、松山の地で旅の終わりが待っていた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3558

Trending Articles