さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は23度から27.5度、湿度は92%から74%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の14日は、湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。
123/81/60 36.4c-96% 64.6Kg 1009hPa,26c,78% 一転して今日はまた鉛のように身体が重くてトイレにいかない。なんなんだろうか、この身体は・・・。
この日曜日に、この自治会内の「地神(じじん)さん」のおまつりがある。そこで、このしめ縄と御幣を作らないといけない。もう、縄をなう・・という人がいなくなって、私もへたくそなんだが、仕方が無い。
そこで、担当区域内パトロールを兼ねて、篠竹を探して回った。これが案外と見つからない。用のないときにはいくらでもあるのだが、探すときには見つからない。
篠竹というのは、こういうもの。群生しているから、見つかったらたくさんあるのだが、細かったり太すぎたりと、案外と必要なものは見つからないものだ。
ついでに玄関飾り用にススキも刈り取ってきた。
少しばかり短すぎたかな。
これに紙を切って、「紙垂(しで)」を作る。
これを二枚合わせて「御幣」にする。ま、当日の「ご神体」が宿る場所である。
ついでに、しめ縄用の「神垂」も切っておく。しめ縄は明日の朝だ。
しめなわは根性を入れないと縄にはなってくれないのだ。
今日のお昼は、昨日の「ふじ麺」で買って来た「包丁切り」という細切り麺をゆがいて「かけうどん」にしてみた。やっぱり、これは讃岐うどんだ。いつもの食べ慣れたさぬきのうどんである。
お昼からは、民生委員のお仕事で帳簿作り。本当は用紙をコピーして手書きで記入するべきものらしいが、私は字が汚くて読めないのだ。そこで苦肉の策で、用紙の複製作りから始めてみた。
どうにか形になってきた。あとは、キーボードから入力していけばいいだけになった。
今日の掲示板はこれ。「現在が続いて将来となる 現在を離れて将来はない」という清澤満之先生のお言葉から。清澤先生は文久3年、尾張藩に生まれた。東京帝国大学卒業後、明治21年、京都府尋常中学校の校長に赴任するが、辞任して禁欲自戒の生活に入った。明治25年、『宗教哲学骸骨』を刊行。宗門改革のために雑誌「教界時言」を発刊し一時僧籍を剥奪されるが、僧籍を回復し真宗大学初代学長に就任。明治 34年、雑誌「精神界」を発行。明治36年、愛知県で死去。享年41歳であった。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。