さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は9.5度から12度、湿度は76%から56%、風は4mから5mの西北西の風が一時は強かった。明日の13日のさぬき市は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
117/66/64 36.4c-96% 68.8Kg 1016hPa,12c,36% 夜のトイレ時間が永いものか、今日は眠たくて堪らない。だから、今夜も18時頃から寝てしまうに違いない。「寝る子は育つ」という時期はとっくに過ぎてしまって居るのだけれど。
南国讃岐の国でも氷が見られるし、朝霜も見られるようになったが、子供時代とは打って変わって、少しも楽しくもないし嬉しくもない。おかげで昨日の「古本回収」も今朝の「空き缶回収」も見逃してしまった。正月明けの空き缶回収日が大変だ。我が家の空き缶だけで「空き缶集積場」が満杯になってしまかも知れぬ。
でも、そんな寝言ばかりなようなことも言ってはおられないので、先日七日の日の「ひとり暮らし老人年末訪問」の実績表やら、「年末助け合い募金」の「分担金」配分やらの受領書などを役所の窓口に報告しておかねばならぬので行ってきた。
しかしのかかし、お酒もアルコールも飲んでもいないのに、両足のむくみがひどくて、少しも歩けない。「なぜかしら 不幸の女神のいぢめはひどく 足がむくみて三歩歩めず」数年前には、お盆のお勤めのお参り人が少なくて、生ビールが余って困ると飲み干してしまったら、「うっ血性心不全」だと診断されて13日間も入院させられたことがあったが、今回のはそういう病ではないような気がするし、Drも何も言わない。
これは先月頭(11月3日)の頃、前立腺肥大の手術しした直後のもの。実にホッソリとしていたが、体重は67Kg台であったような気がする。
さて、「人生会議」のお話しに戻るのだが、母は自宅での「看取り」を希望し、一切の延命治療や人工的な水分や栄養の補給はいらないと言った。そして、自宅で死を迎え、自宅で通夜をし、私の読経で我が家から出棺した。私もそのつもりでいる。ただ、私は妻の負担を考えて「病院」の看取りを考えている。考えてはいるが、病院がどうするかは追って相談のことだ。
さてだ、葬儀のことだが、親戚の数は十数人だけになった。私の友人は全くいない。地区の「同行さん」は8人ほど。会社関係も所属団体もない。だとしたら「家族葬」でいいではないか。通夜や葬儀は必要だが告別式はいらない。初七日の法要はやめて、みんなで「お別れ会」をするのはいかがなものか。みんなで集まってわいわいがやがやと、「明るく楽しく元気よく」二次会は我が家で「カラオケパーティー」もいいじゃないか。私の愛唱歌「我が人生に悔いはない」をみんなで大声で歌い上げて欲しいものだ。
今日の掲示板はこれ。「くらやみの中で 宝があっても つまずくだけだ」というもの。前川五郎松という人の、阿呆堕落偈(あほだらけ)から。闇と光について、いつかこんな言葉をお師匠様から聞いたことがある。「暗闇の中で宝があっても、つまづくだけやぞ。燈明(あかり)をつけてもらうだけや、何にも変らぬが、見える見える、見えると安心や」。と。暗闇の中では、宝物もご馳走も有り難い仏様も見えぬ。仏法を知らぬ者には経典も仏像も何も見えぬ。光という智恵を頂いてこそ、宝物やご馳走が見えるというものである。
じゃぁ、また、明日、合えたら、いいね。