さぬき市地方は気圧の谷が接近し、夜には四国の南海上に低気圧が発生するため雲が広がり、夕方から雨が降ってきた。21日は、低気圧の影響で未明は雨が降るが、その後は高気圧に覆われてくるため、次第に晴れてくる見込みらしい。
これは昨夜の田舎のメインディッシュ。それと・・・。
こちらはわらび・・・。わらびはもうおしまいかなぁ・・・。
今日の気温は5度から10度と三月並の気温だとか。湿度は79%から48%と乾燥気味。風は4mから1mの南南西の風。夕方には風はやんだ。
今日はここに行ってみた。さぬき市大川町田面(たづら)というと、町内になる。「手打ちうどん・若潮」というセルフのお店。ここは昨年には、「学家:まなぶや」というセルフのお店だった場所。そのお店をそのまま使って、18日にリニューアル・オープン。
店内はあっさりと、さっぱりとしている。メニューもさっぱりとしている。
数少ないメニューの中から肉うどん小を注文した。ネギもこれだけしか入れてくれない。天かすとおろし生姜はフリートッピング。これで380円だった。
このあたりでも田植えが始まった。この土日にはあちこちで田植えが行われるんだろう・・・。連休前に田植えをすませておいて、連休はどこかに遊びに行く予定かも知れない。
この方が、英国全権公使だった「アーネスト・サトウ」という方。この方が、1895年(明治28年)7月28日、サトウは駐日特命全権公使として日本に戻った。東京には5年間勤務した。その時期(明治32年)において、レキの墓について英国公使として感謝状を青木周蔵外相に送付した。
これが、その感謝状で、末尾に「Ernest Satow」のサインが見える。日本によく見られる「サトウ」だが、日本人ではない。ないが、日本人が好きで「佐藤 愛之助」という日本名を名乗っていた。
で、こちらが、それを受け取ったとされる「青木周蔵」外務大臣、(1844〜1914)は、明治、大正期の外交官であり、政治家であった。勲等は勲一等。爵位は子爵。1898年(明治31年)、第二次山縣内閣では再び外務大臣に就任、1900年(明治33年)の義和団の乱に対処、列強の動きを敏感に察知し積極的な介入を試みた。こののち枢密院顧問を経て叙勲され子爵となった。
夕方からは雨になった。迷犬ごんは、それでも散歩に行くというてきかない。傘を差しての散歩になった。
久々の雨。これで、雨後の竹の子がどんどんと生えてくれたらいいのだけれど・・・。
今日の掲示板はこれ。「根を養えば 樹はおのずから育つ」という東井義雄先生の言葉。先日のこと、けいこばぁがなんとかというハーブの植木を買ってきた。買って来たが、毎日毎日、樹勢が衰えていく。見れば、植木鉢から根っこがはみ出して乾燥しきっている。そこで、二人がかりで、その植木鉢を解体して、新しい植木鉢に移植して、ようやくに、その植木は元気を取り戻した。
それと同じ事で、私たちのこころを養えば、私たちの身体はまた、おのずから育つというもの。私たちは、うどんだけを食べて生きているだけではないということでもある。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。