さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は26.5度から34.8度、湿度は86%から60%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。
血圧106/58 脈拍79 体温36.2度 酸素濃度97% 体重61.2Kg 室温24.1度-室内湿度74%-気圧1010hPa 体調に変化はない。ただ、昨夜は熱帯夜だったので老人二人が熱中症で死亡・・・という記事にはなりたくないのでエアコンを掛けたが、なかなかに冷えないので設定を低くしたら騒音がうるさくて、設定を上げでも冷えないし・・・と、なんだかんだで寝不足気味。
一応、朝のお食事。イチジクを子供の頃には「なんば」と呼んでいたが、小豆島から転校した子が、「ナンバと言うんは唐黍(とうもろこし)のことやで」と言われて、すごく恥ずかしい思いをしたことがある。小豆島では「南蛮きび」と言うていたのかも知れなかった。知らんけど(笑)。
今日はさぬき市の広報が届く日だから、自治会長としての連絡事項なんぞを作成・印刷して配布する用意をしていた。
ということで、いつもはこの時期に集金する「祭典費」や「獅子・奴奉納費」なんぞの集金をすべきかしないべきかで悩んだことだった。これは追って連絡することにした。村の鎮守のお祭りも縮小か・・・。
奥方が私の愛用のマスクを洗濯したので、その補修用として、さぬき市のマスコットキャラクターの「さっきー」ちゃんを印刷して、
マスクにアイロンプリントしておいた。何回も洗うと剥がれてくるのか・・・。
で、七月七日の大窪寺勉強会に参加していなかった二人の会員さん宛に、その時の資料や、これからの行事予定なんぞをまとめた文書を同封して郵送することにした。
全く、あれこれとご用は転がっているものである。
奥方が、「今日もおそうめんね」と言って出掛けたので、今日もおそうめんになった。マグロのたたき・ぶっかけそうめんである。それに野菜サラダ付きである。野菜ばかりを食べているが、私はクツワムシではない。
キュウリや野菜の塩が少し多くてベトベトになったのがすこしまずかった。
お昼からはさぬき市の広報ほかを各戸に配布する用意をやっていた。今月は、この三紙しかない。みんな、自粛自粛になっているのだろうか。
これをビニール袋に詰める作業をやったわけである。配布は明日の早朝、涼しいうちに配ってこようと思っている。もう、この集落は我が家を含めて9戸になってしまった。
でも、このさぬき市の広報を楽しみにしているご家庭もあるというのだから、忘れずに明日の朝には配達しておかねば・・・。
今日の掲示板はこれ。「俺はキムタクにはなれないが、キムタクも俺にはなれない」というもの。ま、向こうさんは、俺になろうとも思ったりは絶対にしないのだろうけれど。こういうことはザラにあることで、子供の頃には、鞍馬天狗や七色仮面や白馬童子にあこがれたけれど、鞍馬天狗や七色仮面が私になりたいなんてことは考えもしなかったに違いない。そこには価値観の根本的な相違があることに気づかないだけである。このコペルニクス的展開こそが大切なのではないかと思った事だった。
1度は聞いたことがある理論だと思う。あるいは似た言葉として、「みんな違ってみんな良い」とか、「一人ひとりに個性があるんだよ」とか、「元々特別なオンリーワン~」とか。小学校を卒業して、中学高校と思春期真っ只中のとき、そんな言葉が信じられなかった。秀でていればいるほど、いいに決まっている。アイツみたいにモテたい。あの人みたいに頭が良くなりたい。彼みたいなスマートさが欲しいと思った。私自身には目立った長所が見つけられなかった。同窓会で会っても、「あ、手品をやってた人・・」とか「ああ、落語をやっとたヤツかよぉ」くらいで、ほかの印象はなかったみたい。だから、自分という価値を築いている彼らが羨ましく、彼らになり変われたらどれだけ幸せだろうとは常々思っていた。でもだ、よくよく考えてみたら、そうだ、俺はキムタクにはなれないけれど、キムタクだって、俺になれないじゃないか」と割り切れるようになった。余談だが、我が家の玄関先に立って、こう、言うといい。「あ!キムラ宅や・・・」って。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。