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Channel: まほろば自然博物館
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凜として生まれて伸びて曼珠沙華

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 さぬき市地方は、湿った空気の影響で曇っていたが、夕方からは高気圧に覆われて晴れるらしい。気温は25.0度から29.1度、湿度は94%から68%、風は3mから5mの西の風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、朝から昼過ぎにかけては湿った空気の影響で曇る見込みなのだとか。

 

 101/56/78 36.1c-96% 59.8Kg 24.5c-70%-1010hPa 身体はなんともない。これまでの、あのおなかの張りはなんだったんだろうと思う昨今。まるでおなかの中に宇宙人でも住み着いたのではないのかと思える毎日だったが。

 

 4時半起きで6時から朝食。充分に時間はある。6時半には我が家を出て「山の神さん」に向かう。

 

 みんなで境内や参道の落葉かきをする。ここには不思議と雑草は生えない。落葉だけを集めたらきれいになる。さっぱりとする。

 

 「村の総出で」と言っても、これだけだ。自治会の総会員が9軒、うち1軒は足が悪くて参加できない。そこで8軒、8人での掃除と秋祭りだ。ここに並んで居る石積みがあるが、拝殿跡の礎石である。ここができたのは文化文政年間 (1804~30) で、江戸幕府 11代将軍徳川家斉が、将軍職を家慶に譲ったのちも大御所として幕府の実権を握っていたころである 。

 

 娯楽のない時代には人々の信仰心も厚く、ここでお籠もりしては日常の憂さを晴らしたり情報交換をしていたらしい。今、ここにいる人たちは、ここが何であるのかさえ知らないで育ってきた。

 

 7時集合が、6時半には集まってお掃除を始めて、7時には祭礼も終わった。祭礼たって、長老が代表して二礼二拍手一礼しておしまいである。形ばかりに「洗米」と「塩」をつまんで「神酒」を少しばかりいただくばかり。それが終われば解散になる。あっさりとしたものだ。

 

 私は、さぬき市から振り込まれた金額で、市の商品券を買って、それを80歳以上のお年寄りにお届けする。500円券が三枚入っている。

 

 それを、私なりに和紙で包装しておいた。それを三軒の三人にお渡ししてきた。

 

 帰ると早速に実績報告書を作成して送り返す準備をする。なにせ、公金だから収支報告書やら領収書の添付が義務付けられている。我が集落は少なくていいが、大きな自治会になると数十人にもなるらしいので大変だろうなぁとは思う。

 

 今日もあっさりとサンマの味噌煮とおろしぶっかけうどん小の冷やである。今日は炊飯器がご飯を炊き上げる前におうどんを食べてしまったので、ご飯ものはない。だから、夕食は早めの16時半過ぎになる予定。今日も奥方は「日勤」で帰りが遅い。

 

 来週は土地の神さん、田んぼの神さんの「地神(じじん)さん」の秋祭りで、2班が当番である。私はさぬき市の広報「さぬき」を配って、下半期の会費を集金する日になっている。

 

 午後からは「闘病記」の最終チェックの段階。「結論」「まとめ」も書き上げた。

 

 ということで、表紙もデザインできた。発行は10月10日。医大付属病院の看護師さん二人と、県立病院の内科担当のドクターとの三人だけに作るもの。私には下書き・校正用しか残らない。そういう「非売品」である。

 

 今日の掲示板はこれ。「おこないはおれのもの、批判は他人のもの、おれの知ったことじゃない。」という「勝海舟」先生の言葉から。これは維新後、新政府の要職についた勝や榎本を福澤諭吉が「痩(やせ)我慢の説」という著書で批判をして、二人にその著書を送りつけた。その時に、勝が福澤諭吉への手紙で述べた言葉である。原文は、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」(世に出るも出ないも自分がすること、それを誉める貶すは他人がすること、自分はあずかり知らぬことと考えています)ということ。江戸開城を止めるために、上野のお山で彰義隊は命を捨てて戦っている最中、福澤は御殿山からその戦いを自分の弟子と一緒に傍観していたらしい。勝にすれば、「お前も曲がりなりにも武士だろう。命を懸けるほどの仕事をしてみい。学者気取りで偉いもんじゃなあ」というのが勝さんの本音だったものと思われる。批判をする方は簡単である。勝手なことを言っていればいいのだから。でも、批判されるほうは堪ったものではない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。 


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