さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は12.5度から22.4度、湿度は90%から66%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の29日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。
128/79/80 36.3c-98% 64.4Kg 16.5c-55%-1020hPa 昨夜から尿が出ないし、おなかが張るような感じがする。血圧もやや高め。体重がぐんぐんと増えてくる。
今朝は朝食も喉を通らない。奥方が、「それは変でしょ!」と言うのだが、確かに変だ。少し前には朝食ができる前から起き出してきてウロウロとしたのに。
そうは言うても、早くからは病院は開かない。そこで、いつもの「白衣史研究」をやっておく。これは「伊予鉄バス」が始めたお遍路バスの第6回目の記念写真である。昭和33年(1958)のことらしい。
こうしてみると、最初は一人しか来ていなかった白衣を、6回目になると、ほぼ全員が白衣を着るようになった。前列左中程の方はお先達さん。後ろの二人は乗務員。このことから、他の会社のお遍路バスでも白衣が流行し始め、今ではお遍路バスの全員が白衣を着ての巡拝になっている。
さて、来週の月曜日から「フルムーン旅行」が始まる。ああ、それなのに今頃になって体調がおかしくなるというのはどうしたことだ。この旅行がキャンセルにでもなれば奥方からは大目玉をくらってしまし、キャンセル料がふいになって大損になってしまう。
それで大慌てで県立病院に駆け込んだのだが、予約診察と違って飛び込み外来は後回しになってしまう。レントゲン検査や血液検査を済ませているうちに、トイレに何度も行くようになって、診察を受ける10時半過ぎになると平常に戻ってしまったではないか。
それに、今日は患者さんが多くて待ち時間ばかりになってしまう。で、結局の薬局で、「夜用の利尿剤」と、緊急用の「頓服」を処方してもらって帰るしかなかった。もう、どこも悪くなくなってしまったのだから。
で、その後、高額医療費の請求事務などをやってきたが、先月までは数万円の払い戻しというか補助金が出たのだが、最近は入院することもなく、高額な医療費も払わなくなったので、わずかしか戻らなくなった。うれしいやら悲しいやらさみしいやら・・・。
だから、ものの数分で手続き完了。
その後、町内の調剤薬局で利尿剤やら頓服をいただいてきた。先の内科の処方薬が18,000円の限度額額超えで、おとといの泌尿器科の薬も、今日の利尿剤などの薬もお金はいらないことになってしまった。これまた、うれしいやら悲しいやらさみしいやら・・・。
で、今日のお昼は普通に食べて済んだ。何がどうしたと言うのだろうか。体重は元の62Kg台までに落ち着いてきている。夕食前、お風呂上がりには61Kg台までには下がると思う。
で、食後の散歩で、昨日の「防災無線用鉄柱」の工事現場を見てきた。今日は工事はお休みだと聞いている。ここにコンクリートを流し込む手筈らしい。明日には埋め戻しをして、この土曜日にはスピーカー取り付け工事などを予定している。
こうした電柱が二本、建てられている。
今日の掲示板はこれ。「どんな難局にあっても、「どうにかなる」という楽観性と、「自分でどうにかする」という強い意志があれば そこを切り抜けていくことができる」という塩月弥栄子さんの言葉から。生きているとさまざまな難局に出会うものである。その難局との出会いでどのような行動をとるかで人間性が表れたりするもの。多くの難局との出会いが人間性を高め、難局に対して的確に処する術が身についていくのではないだろうか。そういう意味においては、難局は歓迎すべきものであると捉えることもできるだろう。難局に対しては楽観性と強い決意を持って臨むことが肝要ではないだろうか。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。