さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は今季最低の6度から13.7度、湿度は78%から60%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の2日のさぬき市地方は、朝まで気圧の谷や湿った空気の影響で曇るらしいが、昼前からは高気圧に覆われて晴れる見込み。
118/62/80 36.6c-96% 62.2Kg 14.6c-51%-1022hPa 体調に変化はない。今日からは師走、12月である。師走だからどうだとかの話はない。
巷では、「歳末助け合い運動」が始まったらしいが、自治会や民生委員協議会でも年度当初に募金はやってしまっているし、とりたてての行事もイベントもない。ただ、この週末には、80歳以上の一人暮らし老人の見回り活動がある程度。
今日は冷たい朝になったが、今年最後の「観光ガイド大窪寺班」の例会があるので、いつもの前山地区活性化センターにやってきた。
で、今日は8名中5名の参加になったが、それでも勉強会をやってみた。ま、お茶飲み仲間の世間話みたいなものである。
ま、私も今年はなんだかんだとあったのだけれど、どうにか今年の予定を消化することができた。今年は感染症対策とかで、お遍路さんの数も激減したし、さぬき市や観光ガイドのイベントもほとんどが中止や延期になってしまった。だから、観光ガイドも、出前授業もなくなってしまった。
だから、今年は在宅学習、在宅研修にもなってしまった。
ということで、今日は気楽に学べる座学になった。
このお話は、数年前に、「四国遍路の闇と影」という本を書いたが、その中の一説に出てくる「市川團藏物語」を編集しなおしたものである。あの頃は懸命に四国遍路の歴史を求めて走り回っていた感がある。
四国遍路というと、明るく開放的で観光気分みたいなところあるし、四国遍路に関する表舞台のお話はたくさんあるが、その裏の闇や影の部分にも目を向けてほしい・・というような講義を受けたからだった。
そういう、私が足で調べた市川團藏の決死行の物語であった。歌舞伎界の変化と、その歌舞伎界を汚すまいとして團藏は四国遍路を終えて小豆島にわたり、島四国を済ませて船に乗って大阪へ向かう。その途中で團藏は姿を消してしまった・・・。
今日のお昼もところてんと梅がゆである。あとはおつけものなんぞ。決して精進料理を食べているわけではない。単に食べたいものがないだけだ。
ずいぶんと冷え込んだものだから、そろそろと、ミニ囲炉裏に火を入れてみた。まだ、鍋の中身はない。
昔、使っていた火鉢も出して並べてみた。私が子供のころには、暖房器具と言えばこれしかなかったから、法事奉賛の時などには、これを二人か三人の間において炭火をおこしたものである。これが暖房になり灰皿にもなった。だから、こういう火鉢が5個から10個ほどあったもので、今の我が家には二個だけが残っている。
今日の掲示板はこれ。「背負わされたと思えば荷物は重くなる 背負わせて頂いたと思えば感謝になる」という荒了寛さんの言葉から。昨日の掲示板にも相通じるところがあるけれど、仕事だと思うから、背負った荷物が重くなる。遊びの登山だったら、いくら背負っても重いとは感じない。他人さんの親を背負ったら実に重いと感じるが、自分の母親だと重いとは感じない。重い軽いも、この私の心が決めるのである。人間とは、そんな不思議な動物である。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。