さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で次第に曇ってきた。気温は6.0度から14.4度、湿度は94%から66%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて、概ね晴れる見込み。
99/44/78 36.5c-95% 63.2Kg 20.0c-47%-1026hPa 体調に変化はないが体重が微増しているのが気に掛かる。朝食を抜いているのがよくないのか、尿の出方が悪いのか。
やりかけで残っている「あなたの知らない大窪寺編:そうだったんな、お大師さん」の続編を書いていた。「大窪寺には山門が二つあるのはなぜなのか」「二天門をなぜ”楼門”と呼ぶのか」などのお話である。
一月、二月はガイド活動はお休みになるので、その間に、こういうお話をまとめておきたいものだと少しずつ書きためている。
九時過ぎからは集落内一周の散歩に出た。そろそろと足の筋肉が悲鳴をあげるころ。足の神経がピリピリとするし、痛めたかかとが痛み出す。でも、痛くても歩かないと我が家にはたどり着けない。誰も助けてくれる人はいない。
なんだかんだと言うている間に空は薄曇りになってきて冬空に進んでいる。風も冷たい北風になってきた。12月もはや10日。来週あたりからは寒さが厳しくなりそうだとの天気予報があった。
今日のラジオで「凧の元の名前は何というか」というお話があったけれど、私の子どものころには、「イカを揚げようで~」と言うていたなぁと思い出した。凧に新聞紙を細長く切って貼り付けて尻尾をつけて、それがイカのように見えたものだった。だから、小学校なんかで「タコを揚げようでぇ」と言うているのを聞いて、「あいつら、何を言うとるんやろ・・」と思ったものだった。
で、10時を過ぎたので、昨日、お預かりした「歳末助け合い募金」の配分金をひとり暮らし老人宅に配りに行ってきた。
私の担当地区には12人ほどいたのが、今年は7人になってしまった。私の担当あと2年の内に仲間入りする人はいない。だんだんと寂しくなってゆくばかりだ。
だから、お昼までに7人分を配って済んだ。やはり、野菜作りやお花作りをしているお年寄りは元気だ。そういう趣味のない人は家の中に籠もりきりでつまらなさそうにしているばかり。
これで今年の私のお仕事は一区切り。民児協の会計帳簿を整理して会計報告の準備をしておかねば。今年は感染症対策のために歓送迎会もなかったし、忘年会も新年会もない。研修旅行も自粛だったしで支出がほとんどなかったことだった。
そういえば、我が家も親父の祥月命日(8/1)の飲み会をして以来、BBQパーティーもカラオケパーティーもない。孫の大学合格パーティーも忘年会も自粛になってしまったんだろうか。時節柄、仕方がないと言えば仕方がないのだけれど。
だんだんと、家族という縦糸と連携連帯という横糸が交わらなくなって、個人・個人とばらばらになっていくような気がする。さらに母が亡くなって以降、親戚というつながりがばたっと切れた。来年のお正月はぐんとさみしいものになりそうだ。
今日の掲示板はこれ。「本当のものがわからないと 本当でないものを本当にする」という安田理深先生の言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。自分がどこまで知ってるかを識別していないと、自分では知ってる範囲が全てで本当と思うと自認してしまうもの。大切なことは知っていることと、知らない事を分別する力、つまり知識だと思うのだ。本当のこと、これは「真実」とか「真理」ということを指すのではないだろうか。それが探索できないと、当然、自らが下す判断は誤りとなることが多くなり、自ずと良い結果は出ないくなる。問題とすべきことは、「本当でないものを本当にする」ということではないだろうか。私たちは、仕事や生活の中で、常に真実とは何か、真理とは何かということをしっかり学ぶ必要があると言うことだ。最近のフェイクニュースやネットに氾濫する情報が、果たして本当のものなのかどうか、そういうことを思い出しながら、ふと、振り返ってみたことであった。それが人権問題になるとしたら、もっともっと、慎重にならざるを得ないことなと思ったことでもあった。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。