さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は4.5度から12.4度、湿度は74%から58%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方は雨が降る見込み。
118/59/79 36.5c-98% 63.2Kg 17.4c-46%-1026hPa 体調に変化はない。
今日も引き続いて大窪寺の謎を探そうと大窪寺にやってきた。時期的なものなのかお遍路さんの姿は全く見えないし、境内にはわたし一人きりだった。
ま、ここに限らず仁王門には必ずと言っていいほど、こうした「大わらじ」がある。しかしのかかし、誰もこれを不審がる人は居ない。この大わらじは高松市の「檀紙わらじ会」や「檀紙一七会」が奉納してあるが、何のためにこんな大きなわらじを作って重いのに運んできて奉納するのだろうか。
これは「二天門」という、梵天帝釈天がいる山門だが、ここには小さなわらじがたくさん奉納してある。この意味は何なのか。これまた、大窪寺ガイド班でも誰も疑問視していない。
そういうことを、「あなたの知らない大窪寺ガイド:そうだったんな、お大師さん」にまとめてみた。この、「仁王さんがはだしだから、仁王さんのためにわらじを編んで奉納した」というのは、本当らしくておかしく思った。
これは本堂の向背部分の「木鼻」の龍だが、爪が三本しかない。右手の三本の爪でドラゴンボールを掴んでいる。左手も三本しか爪がない。中国では五本爪は帝王を、四本爪は寺院仏閣用で三本爪は「一般庶民用」ということになっているらしい。うむ、ここは寺院仏閣なのにな。
で、今日の「マイ・トレジャー」がこれ。長宗我部藩の正木修理が罪業消滅のために建てたという石仏である。「天正兵火謝罪並びに僧侶民衆兵士の御霊位結集追善菩提 長宗我部軍侍大将 正木修理亮 外正木家一門 高知 願主 正木長生 昭和五十二年七月建之」とある。
ここ大窪寺も「天正の兵火で焼失・・云々」という話が残っているが、それを謝罪する石仏なんぞ初めて目にするものである。だが、侍大将正木修理亮」という名前はわからずじまいだった。
これも短くまとめておいた。
今日で牡蠣めしは三日連続。それに牡蠣フライもだ。とはいえ、朝食は食べないし、昨日のお昼はおうどんだったし、そんなに毎食牡蠣めしだった訳ではない。
ほかにも日中友好の碑とか、もの言う修行大師石仏とかを調べてきた。こうしたものをじっくりと見るのも楽しいものだ。
しかしのかかし、そういうお話が聞こえる人っているのだなぁというのが不思議だけれど、一方でスマホやラジオやらが聞こえるのだから、そういう石仏の声が聞こえる人がいても不思議ではないのかなぁとは思ったりする。
今日の掲示板はこれ。「若い時学んだものを 年を取って理解していくものである」というもの。町内の善楽寺の掲示板にあったもの。どこのどなたの言葉かわからなかった。若い頃には全く何をいうとるのかわからんことが、最近になって、「ああ、そうだったのか。そういうことだったのか・・」と頭にひらめくことがある。若い頃には、「あの人・・、何をいうとるんじゃろう・・」と思ったときに、「いずれ、わかるときが来る・・」と言われたことが何度も何度もある。未だにわからんことは山ほどあるが、いずれ、それらもわかる時が来るのだろうか。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。