さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は6.0度から9.6度、湿度は88%から66%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置となるが、概ね晴れる見込み。
110/61/78 36.4c-95% 62.3Kg 16.8c-48%-1020hPa 体調に問題はないが冷えるからか足が動かない。
体重はさほど問題になるほどではないが、奥方は「朝も食べないし、お昼も少しだし、夜も食べないのに、なんで体重が減らないの?」と言うのだが、食べないから体重が増えるってことはあるのだろうか。
雨の降らない間にと、ホームセンターに行ってみたが、これというものもなくトイレを借りただけだった。この時期、灯油がよく出ているなぁと思ったが、我が家はガスストーブに切り替えたので昨年から灯油は必要ではなくなった。あれも考えてみれば面倒なものだったような気がする。
帰りに郵便局で島の家の浄化槽管理料を支払ってきた。ま、丸亀市の島の家ということもあるのかどうか、12月1日付けの請求書を年末に送ってきて年内に支払えというのだからたまらない。
今年は、我が家の浄化槽、自治会堂の浄化槽、島の家の浄化槽と三つの浄化槽の点検費用、管理費用を振り込んだものだから、すっかりと操作にも慣れた。こんなこと、自慢にはならんけど。
あと、スーパーなんぞにも寄ってみたが、松の穂先とか仏花とかもすっかりと高くなっていて驚いた。この松や梅なんぞは大晦日を過ぎたらどうなるんだろうかと考えた。やはり捨てるしかないのだろうな。
で、元屋敷あたりから松の枝を切り取ってきた。奥方がどんな松を欲しいのかわからんし考えたこともないが、ま、適当に切ってきた。
本来ならば、雄・雌の穂先をそろえるのだろうが、そんな難しいことはできないというもので、赤松だろうが黒松だろうがわからんままに切ってきた。要するに松であれば何でもいいのだろうと思う。
竹とナンテンも適当に切ってきた。それほどお客さんはそんなことには頓着しないもので、それより食べることに夢中になるものだ。
お昼前から雨になった。雨にはなったけれど、今日も大窪寺に出掛けてみた。
「此の二体の石仏は故松花ハナ様が建立し祭(り)しものである。地蔵菩薩は大正十二年八栗寺の三剣の中腹で子持ち地蔵として祭られた。昭和五十九年「此所に居ては参って来られる人は少ない。三年後には大窪寺へ水子地蔵として移して呉れ」とのお告げが有り八栗寺に願い出たが許してもらえなかった。昭和六十三年七月に新しく我の姿を造り八栗の地蔵の魂を移して大窪寺へ祭って呉れ」と再度お知らせがあった。修行大師は昭和十一年大窪寺奥の院の迫り割りの崖下に祭られて居た処高松市前田東町身禄教会会長大見進一先生のお導きと御尽力で大窪寺の許可を得てここに建立すに至った。
平成元年五月吉日
とある。さらに、
追伸
修行大師はここにいては我が膝前に来て手を合わしてくれる者はいない。せめて迫り割り岩の所まで出して呉れと一旦は出したが、又、大師堂の横に地蔵と共に祭ってくれと再びお告げがありここに祭る。
とある。注文の多い修行大師ではないか。
しかしのかかし、こういう声がよく聞こえるものだと不信心の私は思う。でも、親鸞さんだって「夢告」ということで観音さんや聖徳太子の声を聞いたらしいので、そういう世界があるのかなぁと思うばかりだ。
今日の掲示板はこれ。「自分は正しい 自分は賢いというところに立っている これが人間の迷いのもとです」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあった言葉から。私たちは「迷い」と聞くと、右に行ったら良いのか、左に行ったら良いのかと迷っている様をイメージしがち。しかし、ここで言う「迷い」とは、「こうに違いない」「こうあるべきだ」という「思いこみ」のことを指すのである。思いこんでいる時に、その思いこみに気付くことはないし、気付かないからこそ「思いこむ」というのであろう。その思い込みをやめることはできない私たちだが、そのことに気づくことが大切だというているのである。迷いを断ち切ったりはできないが、その迷いに気づくことが大切だというのである。SNSを見ていると、そういう思い込みが激しいなぁと思うことである。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。