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Channel: まほろば自然博物館
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木枯らしに向かって郵便配達夫

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は7.5度から10.0度、湿度は70%から52%、風は2mから7mの西の風が一時は強かった。明日の26日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 116/60/78 36.6c-97% 63.0Kg 14.7c-41%-1015hPa 体調に変化はない。

 

 昨年の今日は、県立病院でこんなものを食べていたらしい。でも、もう、こういう食事は喉を通らなくなっていた。あれから一年か・・・と感慨もひとしお。

 

 今日はお墓掃除やお花なんぞの準備を・・・と考えていたが、風が強くて、それに空気も冷たいのでやめにした。今頃、風邪でもひいて肺炎にでもなったら一大事ではないか・・・と考えて外出自粛の日になった。

 

 そこで、大窪寺に関する古い資料なんぞを探していた。これは多宝塔で本堂と繋がっているのだが、改修工事の時のものだろうか。

 

 これは大窪寺の二天門の写真で、「絵はがき」らしいが、こういう場合、「写真ハガキ」と言うのだろうか。写真であっても「絵はがき」と言うのだろうか。

 

 今日はお寺から離れて、門前のおうどん屋さんをまとめていた。これが「八十八庵(やそばあん)で、そうそう、確かにこうした松の木があったなぁ。今は枯れたのか切り倒されたのか姿は見えないけれど。

 

 ここの場所には、一軒の遍路宿があった記憶が残っている。床も何もなくて、土間の中央に囲炉裏があるばかりで、お遍路さんは雨露をしのぐ程度だったような思い出がかすかに。それが昭和34年に、こうしたうどん屋さんになった。私が11歳の時だった。

 

 一方、こちらは「野田屋」さん。野田屋さんは、先代が大窪寺の参道入り口で終戦後より縁日を出店していたのが始まりである。現社長は寿司の板前修業後、昭和44年に、この参道石段の横に店舗を構えた。

 

 ここの室内には、大窪寺の石垣をそのまま使っているところが面白い。道路と石垣の間の狭い空間を利用している店舗の知恵であるらしい。

 

 この石段の半分ほどのお店ということになる。お店は石垣にくっついているという感じ。

 

 開店当時は一日に数人程度しかお客さんはいなかったようだが、1960年後半からの第一次うどんブームやお遍路さんの増加などで、店内もにぎわいを見せるようになる。なお、お遍路さんの「白衣ブーム」も昭和30年代(1955)からである。

 

 そして昭和61年の瀬戸大橋開通によって第二次うどんブームが起こり、タクシー遍路も増えて、これまたお遍路ブームが巻き起こったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「欲や怒りの雨あられ そんな私であるけれど 南無阿弥陀仏の傘の中」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。自分が一番かわいいという因縁によって、患い、悩み、苦しむ(結果)のが私たちではないか。自分に対する執着心を我執といい、我執こそが患い、悩み、苦しみの原因なのである。我執が外の世界に関わる時、自分に都合よいものは、我がものにしようと欲となり、欲が満たされない時、怒りとなるのである。私たちは、お浄土を願いながら、お念仏することはない。そんな私共に沿いたいと願われて、声の仏となられ、私の口に届き、私の口と声を借りて、『南無阿弥陀仏』と出て下さり、私の耳に届いて下さっているのである。『南無阿弥陀仏』は、「我に任せよ、そのまま救う」という意味である。そのままとは、欲や怒りを持ったまんまの意味である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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