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Channel: まほろば自然博物館
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石地蔵香り供えて梅の花

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夜は曇って雨の降る所がある見込みらしい。気温は3.5度から11.8度、湿度は82%から52%、風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の29日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇る見込み。

 

 118/68/78 35.8c-98% 63.4Kg 14.1c-47%-1016hPa 体調に変わりはない。肩の凝りも少しずつ楽になってきている。

 

 ものはついでだと、「日本の音風景100」という本を買った。CD付きである。

 

 でも、全国で100の音だから、音源は30秒ほど。ページもこの1頁のみ。そんなもんだ。でも、自分の耳で聞き、自分の目で確かめないと偉そうに他人さまには話せない。

 

 で、今日も相変わらず「へんろ道」探訪である。

 

 これが大窪寺前にある「一丁石」である。このほこらの中に大きい一丁石が納められている。これが土佐の井筒屋の建てた丁石で、宝暦十二年(1762)五月吉日に、遥か土佐国 ( 現 室戸市佐喜浜 ) の廻船問屋井筒屋「利平治」が、六丁までの丁石を寄進している。

 

 で、この「大窪寺」前の ”一丁地蔵尊” だけが、高さが124Cmもある花崗岩に彫られ、精緻な小屋の中に安置されている。

 

 かなり大窪寺への信仰心が厚かったものだろう。

 

 大窪寺の門前に、この「八十八庵」という土産物屋兼うどん屋さんがある。

 

 創業が昭和34年(1959)年で、当時はこうした茅葺き屋根の建物だった。左手の檻にはサルがいたことを思い出す。

 

 その頃から、この石碑があった。「遠国(辺鄙 (へんぴ) な所=田舎)の味」という石碑で、文字は「今東光」と刻まれている。

 

 今 東光(こん とうこう、1898年(明治31年)3月26日 - 1977年(昭和52年)9月19日)は、横浜生まれの天台宗僧侶(法名 春聽 )、小説家、参議院議員。大正時代後期、新感覚派作家として出発し、出家後、長く文壇を離れるが、作家として復帰後は、住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など 奥州を題材にした作品で知られる。(Wikipediaより)この人もここのおうどんを食べたのだろうか。

 

 そのお店の東隅に、こんな丁石がある。今度は阿波国から大窪寺を目指した丁石で「二丁」と刻まれているし、

 

 大きい方は、「是より切幡寺へ五里」と刻んである。

 

 また、東かがわ市の白鳥(しろとり)へは四里半と刻んである。槇川講中が寄進したものである。これらも、このお店の駐車場拡幅工事などで移転されたものであるという。

 

 「人は迷って鬼になり 悟って仏となる」というもの。仏陀・釈尊の最後に語られた涅槃経には、弟子が釈尊、亡き後、何を頼りに生きたら良いのか?と質問したらば、「自灯明,法灯明」と、この二つに頼れと答えられた。

 最後の説法の訳文を紹介する。

「弟子たちよ、自らの灯火とし、自らをよりどころとせよ、
 他人を頼りとしてはならない。
 この法をよりどころとせよ、
 他をよりどころとしてはならない。
 教えの要は心を修めることにある。
 だから、欲を抑えて己に克つ事に勤めなければならない。
 身を正し、心を正し、言葉をまことあるものにしなければならない。
 貪ることをやめ、怒りをなくし、悪を遠ざけ、
 常に無常を忘れてはならない。
 もし心が邪悪に引かれ、欲にとらわれようとするなら、
 これを抑えねばならない。心に従わず、心の主となれ。
 心は人を仏にし、また、畜生にもする。
 迷って鬼となり、悟って仏となるのもみな、
 この心のしわざである。
 だから、よく心を正しくし、道に外れないように勤めるがいい。」

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


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