さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は7.5度から16.4度、湿度は84%から52%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。
106/71/81 36.4c-97% 63.8Kg 20.1c-42%-1028hPa 体調に変わりはない。
ようやくに我が家のハクモクレンも開花した。咲くとなると一斉に花が開くものだ。朝の間、自治会長変更のための書類作りをやっていた。一時期、全国のハンコ屋さんが潰れそうな話だったのだが、押印、氏名押印と相変わらず役所はハンコ行政をやっている。その合間に洗濯ものを干しておく。奥方の布団も干しておく。
10時過ぎになって、市のパッカー車がプラスチック屑なんぞを回収して帰ったのを確認してから、空き缶を回収場へ運んでおいた。緑の袋がアルミ缶で、黒色が雑缶である。我が家のビール(ノン・アルコール)缶を潰すようになってからは、これだけになった。
一昨年あたりは、このコンテナ三個分に、我が家の空き缶が盛り上がったもの。それがぐんと減ってしまった。だから、集落内の方がたが、「どしたんなら、飲むのをやめたんな」とか、「身体の調子がよくないんかいな」などと心配してくれている。単に空き缶を潰しているだけなのだ。
実は、こういう器具に空き缶を挟んで、足でこれを踏み込んで潰す。
だと、一発で、こんなにぺっちゃんこになる。
だから、体積はぐんと減るという寸法である。
それが終わると、今度は歯医者さんである。下の入れ歯が合わなくなっているので、入れ歯を作り直すというのだが、これがなかなかに進まない。そうそう、ここまで来て、財布がないことに気がついてユーターンして我が家に戻り、財布を探してまたここまでやってきて・・・と、情けない話である。
肩こりがひどいときには歯茎が腫れていたものか、どうにもしっくりと来ない。で、型を取るのが二度や三度ではない。もう、うんざりとするほどだ。
で、今日も型を取り直して、今度はまた二週間後に高さ調整をするというのである。その間に、ほかの歯の調子が悪くなったりして・・・。
歯医者が終われば、近くにある大川公民館に向かって民児協の定例会。今日は昼食時間がない。
民生委員・児童委員の定例会ということで、毎月の第二水曜日の午後からの集会になっている。これはどういうわけだか、コロナ禍になってからも一度も休んだことがない。
で、役所からのお願いごとやら連絡事項の伝達がおもな内容。これが13時半から15時まで。
それが終わると、お布団のかたづけやら洗濯物の取り込みやらを済ませておく。窓という窓は全て開放してあったのを全部閉めて回る。
今日の掲示板はこれ。「砂をしぼっても水は出ぬ わたしをしぼっても信は出ぬ 真実信心 むこうから」という放浪の真宗詩人『念佛詩抄』木村無相著よりの言葉である。木村無相さんは、熊本県出身で複雑な家庭環境の中、少年時代を朝鮮半島や中国大陸で送ったが、17歳で単身帰国。このころから宗教に対する関心を深め、京都の一燈園で過ごしたこともあったという。その後、職業を転々とし、流浪の身になった。仏道を歩もうと決めたのは、2度の自殺未遂を経て、26歳からの4年間を過ごしたフィリピンの開拓地だったという。その後、四国などのお寺に世話になりながら放浪の生活を続けた。種田山頭火と親交を結んだのは30歳過ぎのころ。山頭火の俳句が好きで文通を続けていたところ、山頭火から「あなたをお訪ねします」との返信があった。二人は1週間ほど、愛媛のお寺で寝起きを共にして、杯を傾けながら俳句や旅について語り合ったという。その後、二人が出会うことはなかったが、放浪の旅に救いを求め続けた二人の詩人が触れ合った一瞬だった。救われがたい我が身の心境が信仰に向かわせたのか、70歳前に出版した詩集『念仏詩抄』(永田文昌堂)には「砂をしぼっても水は出ぬ わたしをしぼっても信は出ぬ 真実信心むこうから」など、凡夫の自覚に満ちた詩がつづられている。無相さんの心の闇が何であったかは分からなままだが、無相さんは亡くなる前、親しい友人に「結論はなんにもいらんのや、凡夫なりに信心も安心もなにもないまま、凡夫のままで死んでいけばよい」と語っている。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。